読むべき本、見逃していない?

この写真は亡霊? そうかもしれない・・・

  • 書名 海軍伏龍特攻隊
  • サブタイトル付・米海軍技術調査団“伏龍”極秘レポート
  • 監修・編集・著者名門奈 鷹一郎 著
  • 出版社名潮書房光人社
  • 出版年月日2015年3月19日
  • 定価本体780円+税
  • 判型・ページ数文庫・282ページ
  • ISBN9784769828846

 表紙の写真は何だろうか。たぶん潜水服。かなり古めかしい。本書『海軍伏龍特攻隊』(光人社NF文庫)はこの潜水服で海に潜り、敵船を沈没させようとした海中特攻隊「伏龍」についての詳細な記録だ。

 実行直前に終戦になったので、実戦には使われなかった。しかし、訓練中に多数の犠牲者を出した。戦争末期のドタバタに加えて「秘密作戦」。犠牲者の名前も数も正確には分かっていないという。なんとも無慈悲で痛ましい。

潜水具一式は68キロに

 本書の著者は門奈鷹一郎さん。1928(昭和3)年12月生まれ、44(昭和19)年6月、北京日本中学校3年生のとき15歳で予科練を志願し、三重海軍航空隊第22期乙種飛行予科練習生として入隊。45(昭和20)年、「伏龍」の特攻隊員になり、8月、横須賀野比海岸で潜水訓練中に終戦を迎えた。16歳の二等飛行兵曹だった。戦後、早稲田大学第二文学部露文科を卒業。1983(昭和58)年まで図書出版光和堂に勤務し、取締役編集も務めた。2014(平成26)年9月に亡くなられている。

 門奈さんは1975(昭和50)年ごろから、子や孫に戦争体験を伝えようと、自分史の筆を執り始めた。しかし、「伏龍」のところで前に進めなくなった。自分の体験としては書けるのだが、「伏龍」の全体像が分からない。戦友に聞いても、要領を得ない。そこで自ら調べることにした。それが本書執筆のきっかけだ。

 15キロの炸薬を装着した5メートルの竹棒を手に持ち、5~7メートルの海底に潜んで、敵の上陸用舟艇を爆破攻撃する。事実上の「体当たり」。それが「伏龍」の任務だ。ゴム製の潜水服と二本の酸素ボンベ、鉛の錘など潜水具一式を装着すると、68キロになった。甲板をよちよち歩いて、補助員の手を借りて梯子を下り、やっとのことで海に入ると、ふわっと体が浮いて、魚釣りの浮きのようになったという。

 海底を歩いて敵船に近づくにはかなりの慣れが必要だ。しかもちょっと呼吸法を間違うと、炭酸ガス中毒に陥る。攻撃兵器が、自殺兵器に様変わりしかねない。攻撃能力や成功確率も疑問。どうしてこんな無謀ともいえる「特攻作戦」が考えられ、訓練が続いていたのか。

一機で一艦を仕留め

 日本軍は太平洋戦争の緒戦では華々しく勝利し、「快進撃」を続けた。しかし、1942(昭和17)年6月のミッドウエー海戦で大敗、戦局が一変する。44(昭和19)年になると、もはや正面戦での勝利は見込めなくなった。そうした中で、東條英機首相自身がのめり込んだのが「特攻作戦」だった。

 「一機で一艦を仕留める」。まず陸軍と海軍が航空機による「特攻作戦」が展開される。すでに本欄で紹介した『不死身の特攻兵』で明らかなように、現場の指揮官からは「愚策」として反対の声があったにも関わらず、強行された。そして「成果」が華々しく「大本営発表」で報じられた。

 同じころ、密かに「水上特攻隊」も計画され、こちらも実行された。夜陰に紛れ小型の「ベニヤ艇」で敵艦に近づき自爆攻撃を敢行するというものだ。艇は全長約6メートル、幅約2メートル。自動車のエンジンを使ったモーターボートだ。後部に約250キロの爆雷が装着されていたが、フィリピンなどへの出撃途中で米軍の餌食になり、多数の隊員も犠牲になった。『ベニヤ舟の特攻兵』に詳しく出ている。

 要するに、米軍の本土上陸を念頭に、まず航空機による特攻で迎え撃ち、近づいてくると「人間魚雷・回天」など、さらに迫ってくると「水上特攻艇」、上陸間際で「潜水特攻隊」などの順で、打撃を与えるという作戦だったのではないかと推測できる。

日本海軍の弱点の結晶

 問題は、そうした机上プランに実効が期待できたのかということだ。大本営発表では華々しい戦果があったとされた「空の特攻」も、『不死身の特攻兵』などによると、米国側の被害数字とは大幅な誤差がある。「水上特攻隊」はもっと成果が乏しく悲惨だった。

 「伏龍」は実戦には使われなかったから戦果はゼロ。本書には関係者の座談会が掲載されている。著者の門奈さんのほか、当時の突撃隊実験隊長、突撃隊中隊長、小隊長など12人が出席している。その話を読むと、申し訳ないが「脱力」してしまう。

・アメリカ側は上陸するとき、約10平方メートルに何トンという砲弾を撃ち込んでくるので、伏龍はひとたまりもありませんよ。終戦でよかったですね。

・猛烈にやりますからね。水中兵器を全滅させる目的で。

・棒機雷そのものが、水中では潮流で流されてしまい、とても船底を突けなかったですね。

・私は、成功の可能性は非常に薄いとみておりました。理由は、潜水器の性能が十分ではない。大半が事故を起こすこと自体が駄目。

・伏龍の誕生そのものは、日本海軍が負けるべくして負けた弱点の結晶のような気がします。敗戦直前の末期症状が、あの伏龍という悲劇的な兵器となって現れていると思います。

・8月15日が来たとき、本当に1000人近い人を殺さずにすんだ、とほっとしましたよ。

 「特攻長」「突撃隊教官」らがしみじみ語っている。「終戦になってよかった」「部下1000人を殺さずにすんだ」と。では、どうしてこんな戦術が発案されたのか。だれが命じたのか。門奈さんは調べを進め、防衛研修所に残された当時の海軍省軍務局員の証言を見つける。

「伏龍は日本海軍が危急存亡の瀬戸際で、溺れる者はわらをもつかむたとえ通り窮余の一策から生まれた最も原始的な竹槍戦術である」

「本土決戦は一億国民総特攻のときであるから、海軍軍人すべてが竹槍をもって総特攻すべしという軍令部の一部の人の発想から生まれたものである」

「持った棒機雷で敵船を爆破することが可能かどうかも疑問であった・・・しかし、時の情勢は右のような疑問は簡単に無視されがちで、皆が不安を持ちながら、この伏龍作戦に抵抗するものは一人も出なかった。当時の心理状態を思うとき、筆者も不思議でならない」

米側が終戦直後に調査

 本書は1992年に『海底の少年飛行兵』のタイトルで出版されたものを、99年に『海軍伏龍特攻隊』と改題して文庫化、さらに2015年に新装版として改めたものだ。文庫化の過程で米側が終戦直後に「伏龍」について調査した資料も入手、その訳文も掲載されている。近年、「伏龍」についての出版物やマスコミ報道はいろいろ出ているが、門奈さんの本がきっかけになっているようだ。

 本書の座談会では、訓練中犠牲者についても論及されている。「実験部隊で大きな事故が起きました・・・その時の犠牲者は8名と記憶しています・・・予科練出身者は、全員が(潜水については)ズブの素人で、だいぶ事故を起こしたようです・・・海岸にわっと人垣ができるとたいてい事故です」などという証言が出ている。混乱をきわめた終戦処理で、確実な人数や氏名の把握は困難と結論付けている。

 犠牲者の大半は10代半ばから後半の若者のはずだ。本土決戦に向けて過酷な訓練中に事故死したのに、責任も、名前すらも判然としない。改めて表紙写真を見ていると、犠牲になった少年特攻兵の亡霊が何かを訴えかけているかのようにも思えてくる。

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