読むべき本、見逃していない?

「ジダン」や「マラドーナ」が日本にもいた!

  • 書名 無冠、されど至強
  • サブタイトル東京朝鮮高校サッカー部と金明植の時代
  • 監修・編集・著者名木村 元彦 著
  • 出版社名ころから
  • 出版年月日2017年8月23日
  • 定価本体2300円+税
  • 判型・ページ数四六判・256ページ
  • ISBN9784907239251
BOOKウォッチ編集部コメント

 高校サッカーの世界で「幻の日本一」といわれたチームがあった。東京朝鮮高校サッカー部だ。本書『無冠、されど至強』(ころから刊)は、その強かった秘密を関係者への再取材や証言などで明かした貴重な記録だ。

 著者の木村元彦さんはノンフィクションライター。サッカー関係を中心に多数の著作がある。『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』はミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞している。

帝京高校と練習試合

 朝鮮高校がずば抜けて強かったという話は、今ではよく知られている。ただし、各種学校の扱いだったため、高体連の公式戦には出られなかった。どれほど強かったか。何度も全国優勝をした高校サッカー界の名門・帝京高校の監督を長年務めた古沼貞雄氏が証言している。帝京高校と朝鮮高校はともに東京の十条にあり、しばしば練習試合をしていた。

 「東京都で勝って、関東大会でも優勝する。その後に東京朝高と練習試合を組む。それが2対2のドローだったら...。『今年のうち(帝京)はかなり強いぞ』と全国大会の前に自信がつく。そういう相手だった」

 この練習試合も、なかなかスリリングだったという。帝京の校長は余り良い顔をしない。そこで部員たちはランニングにでも行くような素振りで学校を抜けだす。いったん朝鮮高校とは反対側に向かって走り出して途中で向きを変える。そこで待ち受けるのは朝鮮高校側の大応援団だ。完全にアウェー。直線距離で数百メートルの両高は、生徒同士は反目していた。フレンドリーとはほど遠い雰囲気だ。ヤジなどで、帝京の選手は萎縮してしまう。監督が怒鳴りつけた。

 「馬鹿野郎! 周りに見ているやつが何人いようが、サッカーはグラウンドに入ったら11対11でやるんだ、びびんじゃねぇ、てめえら金玉つけてんだろう」

 東京朝高とやることでメンタルが鍛えられただけではない。技術的な面でも学ぶことが多かったという。まだ日本でサッカーがさほど人気がなかった時代、とにかく東京朝高はテクニックも秀でていたのだ。

1935年の全日本サッカー選手権で京城蹴球団が優勝

 その淵源は朝鮮半島にあった。朝鮮ではもともとサッカー人気が高かった。BOOKウォッチで紹介した『近代日本・朝鮮とスポーツ』によると、1935年の全日本サッカー選手権で優勝したのは京城蹴球団だった。本書によればその前年の34年には、朝鮮半島での「蹴球統制令」が検討されたことがあるそうだ。サッカーで朝鮮人が誇りを取り戻し、抗日の機運が高まるのではないかと懸念したからだ。さすがに、布告はされなかったが、それほど朝鮮人とサッカーは深くつながっていた。

 朝鮮高校のサッカーが強かったのには、そうした民族的な伝統がある。中でも主力を占めたのは東京・江東区の埋め立て地、枝川地区の東京朝鮮第二初級学校出身者たちだった。著者の木村さんは、かつてこのあたりを、朝鮮高校の黄金時代を築いた金明植氏に案内され歩いたことがある。10畳一間の古い住宅や共同トイレがまだ残る。そんな貧しい地区から、あすこからも、ここからもという具合に、往年の名選手が巣立っていた。

 枝川地区の形成は戦前にさかのぼる。1940年に開催が予定されていた東京五輪の環境整備で、強制的に都内の朝鮮人が移住させられた。ごみ焼却場しかなかった土地だ。そこに囲い込まれ地域外との交流もない。子どもたちは朝鮮半島から渡ってきた大人たちと一緒に草サッカーに励んだ。著者は、世界各地でのサッカー取材の経験をもとに記す。

 「植民地にされたアルジェリアからの移民の子供がマルセイユの団地でボールを蹴り出す理由、ブエノスアイレス近郊のスラムの中でインディオの子がサッカーに目覚める。それらの理由と酷似する(言うまでもなく前者はジダン、後者はマラドーナである)。世界各地にある移民や少数民族のコミュニティが名フットボーラーを生む背景には、被差別の厳しい現実があるのだ」

青学キャプテンの発言「今でも忘れられない」

 朝鮮高校のサッカー部からは、朝鮮大学に進む生徒もおれば、日本の大学でプレーする道を選ぶ選手もいた。前出の金明植氏は、中央大学に進み、全国大学選手権で優勝した。中央大は49年には関東リーグ2部で優勝して1部に昇格したが、多いときは先発イレブンのうち10人が朝鮮・韓国系選手だったという。

 61年には、有力選手をメンバーに「在日朝鮮蹴球団」が結成され、80年代に至るまで日本チームを相手に9割6分の勝率を誇る強さを見せた。このあたりまでが在日サッカーの黄金時代ということになるだろう。

 本書を読んで印象深いのは、朝鮮高校サッカー部と関わった日本側関係者が、色眼鏡をかけずに対応していたことだ。帝京を率いた古沼氏は、江戸川区で育ち、周囲には朝鮮人が住んでいた。同級生の5、6人は朝鮮高校に行ったこともあり、朝鮮高校に対して偏見などはなかったという。母親からは、関東大震災の時の朝鮮人虐殺の話なども聞いていた。

 実は朝鮮高校は戦後いったん都立高校の扱いになり、54年には初めて東京都の高校大会に参加して優勝、全国大会でもベスト4に進んだことがある。55年に各種学校にされ、東京都高体連のサッカー部会で処遇が論議された。前年の東京都大会で決勝戦を戦った青山学院高校のキャプテンは特別に発言を求め、「スポーツに国境があってはいけないと思う。外国人だということ、強すぎるということで朝高をオミットすることはできない。高体連への加盟継続を要求する」と主張した。この発言もあり、都高体連は加盟を認めたが、全国高体連では却下された。著者は2013年、平壌で当時の朝高キャプテンに会ったが、青学キャプテンの発言は「今でも忘れられない」と感謝していたという。

 

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