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将軍と大尉が、一人の女をめぐってライバル

軍事機密費

 当たり前の話だが、戦争には金がかかる。装備拡充や兵隊養成はもちろん、様々な特殊工作、裏工作にも巨額の金が必要だ。けっして表に出せない金も少なくない。本書『軍事機密費』(岩波書店)は、日本が戦争を遂行するに当たってそうした金をどのように調達し、使ったかについての克明な記録だ。「GHQ特命捜査ファイル」という副題にあるように、具体的にはGHQの調査資料をもとにしている。

記者の仕事というよりは学者の仕事

 「戦前の日本には、『シークレット・ファンド』という資金があった。その仕組みと実態を調べてくれ」

 1947年2月、GHQの中にある戦争犯罪追及組織、IPS(国際検事局)のウィリアム・エドワーズ検事は上司に呼ばれ、「特命」を受けた。いくつかの資料と、参考人の名前を教えられる。すでに東京裁判は大詰めを迎えており、時間がない。エドワーズは大慌てで動き出す。政府や軍の元高官を次々と召喚し、尋問を続けた。

 結論から言うと、この捜査は途中で終わってしまった。最大の理由は、時間と人員の不足。概ね一人で担当していた上に、途中から、すでに収監している戦争犯罪人についての起訴状づくりなど本筋の仕事を急かされることになったからだ。「シークレット・ファンド」の追及は尻切れになって、東京裁判の表舞台から消え、関係の資料も埋もれてしまっていた。

 本書の著者の渡辺延志さんは、朝日新聞記者をしながら丹念に現代史の掘り起こしているベテランジャーナリスト。2013年に出版した『虚妄の三国同盟――発掘・日米開戦前夜外交秘史』(岩波書店)をまとめる過程で、1993年に刊行された英文全52巻の『国際検事局(IPS)尋問調書』の最終巻に「機密費」というファイルがあることを知った。A4判で336ページ。さらに東京裁判で主席検察官を務めたジョセフ・キーナンや、捜査の中心を務めたフランク・タベナーの関連記録などを海外の大学図書館などから探し出し、一連の資料をもとに書き下ろしたのが本書となっている。記者の仕事というよりは、学者の仕事に近い。

未完だったから結論は出ない

 本書は、「特命捜査の背景」「見えてきた構図」「東条の秘密資金は上海から空輸されたか」「敗戦と機密費のゆくえ」などの各章に分けて、調書内容を丹念に振り返っている。もちろん捜査は未完だったから結論は出ない。興味深いのは、関係者の証言内容だ。たとえば児玉誉士夫とのやりとり。

 「右翼団体にいた人間なら、誰でも時折、東条のところか、陸軍軍務局に行って金をもらっていた」(児玉)

 「もらったのは陸軍省の機密費だったのですね」(エドワーズ)

 「もちろんそうだろう」(児玉)

 あるいは元内閣書記官長・富田健治の証言。

 「拓務省警務課長を1932年から34年までつとめ、その間に三度満州を訪ねました・・・陸軍の軍人はとても腐敗していました。毎日酒を飲み、料理屋はいつも日本軍の将校でいっぱいでした・・・上は将軍から下は少尉まで、女をめぐって争っていました。将軍と大尉が、一人の女を巡ってライバルという状態でした」。

 機密費の多くは、様々な工作費に使われたと語りつつ、目に余る乱費も指摘する。自身が近衛内閣で書記官長をしていた時の証言もある。

 「内閣と陸海軍からのものを合わせて約760万円(現在なら70億円超)あった機密費のうち、どのぐらいを使ったのですか」(エドワーズ)

 「すべて使いました。一つは交際費で、国会議員をコントロールするにはかなりの金がかかった」(富田)

臨時軍事費特別会計という別財布

 こうした個別の証言だけではない。本書では、「軍事費」「機密費」の全体像も描いている。戦前の軍事予算には平時と戦時の二種類があった。平時は毎年の予算に盛りこまれる。通常の部隊維持費や装備費など。戦費は実際の戦争経費。規模が小さいときは一般会計の臨時事件費。大規模な戦争の場合は、臨時軍事費特別会計が設けられた。「日清戦争」「日露戦争」「第一次大戦・シベリア出兵」「日中戦争・太平洋戦争」の四つの特別会計があった。戦争が始まって終わるまでが決算年度。その間は何度でも追加。戦争後に決算する。

 予算案は一応、国会に提出されるが「臨時軍事費」という款と、その下に「軍事費」「予備費」という二つの総額があるだけ。総額の大きな塊だけが国会で承認され、どう使うかは軍の裁量に任されていた。使途を示す必要のない万能の財布。そこに機密費も潜り込んでいた。

 軍の機密費はどんどん膨れ上がる。しかもその一部は首相に還元されるようにもなる。1940年に内閣が一般予算で持っていた機密費は、現在の価格で約1億円。足りないので、軍の機密費から約100億円を回してもらっていたという。

 戦争末期、陸軍の機密費は900億円から2000億円もあったと著者は見ている。陸相と首相を兼務していたのは東条英機。「金遣いの荒さ」は有名で、莫大な機密費を使いまくって、皇族に自動車を献上するなど要路の人物に贈答攻勢をかけていたことも明かされている。

 巻頭で著者は、2.26事件当時の首相だった岡田啓介が戦後に語っていた言葉を紹介している。「皇道派とか統制派とか、やかましいことをいっても、本当は陸軍の膨大な機密費の取り合いさ・・・機密費をどちらが握るかという派閥の争いだよ。むずかしいことを言っても本当はそうなんだ」(雑誌「改造」1951年2月号より)

70年前から指摘されていた

 軍部による乱費は、実は終戦直後にすでに問題になっていた。本書はいくつかの新聞記事を紹介する。45年10月8日の朝日新聞は「戦争責任論の熾烈化に伴い、膨大な臨時軍事費の内容その他の取り扱いが各方面において問題にされつつある」とし、「国民の税金と貯蓄によって賄われたこの膨大な臨時費を軍が一体どういう風に使ったか、これを知ることは国民の権利であり、義務でもあるという声が国民の世論として高まりつつある」と報じている。また10月22日の読売報知新聞は「今や国民の憎悪と猜疑に満ちた目は鋭く臨時軍事費に向けられている」と書いている。

 本書はそうした終戦直後のマスコミの問題意識を、70年を隔てて、ある程度解明したともいえる。

 J-CASTニュースでは最近、新聞記者が書く本が増えていることを報じたが、手間がかかっているということでは本書は飛び抜けているのではないか。巻末の参考図書も約200冊に及ぶ。またJ-CASTでは、 NHKスペシャルから派生した本が多いこともお伝えしたが、本書は十分、Nスペにもなりうるノンフィクションといえる。

 それにしても陸軍が敗戦3日後の8月18日に早くも「退職金」の支給を通達していたことには驚く。大将9450円から二等兵160円まで細かい。敗戦を想定し、手持ち資金の処理が周到に計画されていたようだ。

 「機密費」をめぐる不透明さは、戦前で終わったわけではない。本書では2001年に警視庁が摘発した外務省の外交機密費横領事件にも触れている。当時の官房機密費は年間約16億円。外務省の機密費は約55億円で、そこから約20億円を官房機密費に上納させる仕組みになっていたことがわかった。事件は、外務省職員の私的流用で終わったが、果たしてそれだけだったのか。あるいは今も防衛機密費というのはあるのだろうか。いろいろと考えさせられる事件だった。

  • 書名 軍事機密費
  • サブタイトルGHQ特命捜査ファイル
  • 監修・編集・著者名渡辺 延志 著
  • 出版社名岩波書店
  • 出版年月日2018年7月20日
  • 定価本体2200円+税
  • 判型・ページ数四六判・304ページ
  • ISBN9784000612821
 

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