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残業が多いのは「だらだら仕事をしている」からなの?

「働き方改革」の嘘

 2018 年上半期の国会では大別して二つの大問題で紛糾した。一つは森友・加計疑惑。この問題に火をつけた朝日新聞の取材班は新聞協会賞を受賞した。もうひとつは、「働き方改革」。こちらは法案が通ったが、審議の過程でデータ操作などが露呈した。

 本書『「働き方改革」の嘘――誰が得をして、誰が苦しむのか』 (集英社新書)はその「働き方改革」にまつわる様々な問題点を整理し、新書として報告したものだ。

「ポスト真実」について知る

 著者の久原穏(くはら・やすし)さんは1961年生まれ。東京新聞・中日新聞論説委員。経済部で日銀、大蔵省、財界などを担当した後、パリ特派員を務めていたこともあって、欧州事情にも詳しく、国際的な視野も交えながらこの問題を総括している。「年功序列」「終身雇用」が伝統だった日本型経営と雇用形態はこれからどうなるのか、いったい誰の思惑で改革が進んでいるのか。そのあたりを、労働問題を担当する社会部記者ではなく、官庁や財界などを担当する経済記者にもかかわらず手厳しく論じており、政治や経済に疎い人にとっても参考になる。

 本書では二つのことが論じられている。一つは上述の「働き方改革」そのものについて。もう一つは、改革を主導してきた人たちの論理について。

 冒頭、著者は「ポスト真実」(post-truth)という近年話題のキーワードについて説明する。「世論を形成する際に、客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条にアピールする方がより影響力をもつ状況を示す言葉」というオックスフォード英語辞典の説明を引用している。イギリスのEU離脱や、トランプ大統領が勝利したアメリカ大統領選に関連してしばしば用いられるようになった。トランプ大統領は就任後も、「ポスト真実」的な「フエイク」を発信し続けているとして批判されることが多い。著者は、日本でもすでに蔓延していると強調する。

 「政府の言説には、時として『ポスト真実』が紛れ込んでいる」

 「安倍政権が進める働き方改革もまた、ポスト真実があちらこちらに顔をのぞかせている」

最終的に厚労相はデータを撤回

 この「ポスト真実」に対し、著者がこだわるのは「エビデンス」(証拠)だ。政治家や官僚や財界が語っていることは本当なのか。エビデンスはあるのか。

 本書は全体として「働き方改革」を論じているが、その手法としては常に、「ポスト真実」発言に対し、「エビデンス」を示して批判する、という形を取っている。「裁量労働制を巡る欺瞞」「高度プロフェッショナル制度の罠」「働き方改革の実相」「日本的雇用の真の問題は何か」など、各章での論述は常に、この方式が徹底している。

 「働き方改革」の議論で最も有名になった「ポスト真実」は2018年1月29日、衆議院予算委員会での安倍晋三首相の答弁だ。「厚生労働省の調査によれば、裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば一般労働者よりも短いというデータもある...」。

 裁量労働制は1987年に導入された特定の人向けの勤務制度で、予め労使で「みなし労働時間」を決める。その時間を超えても残業代をつけなくてもいいから、財界にとってはメリットがある。働く側からすると、長時間労働を助長されかねない。ところが首相が、「裁量労働制の方が一般の労働者より労働時間が短い」と印象付ける発言をすれば、誰しも「そうかな」と思ってしまう。

 野党の追及に対し、加藤厚労相は「平成25年の労働時間等総合調査」を根拠として示したが、ほどなくその調査に該当の数字がないことが判明する。さらに、「一般労働者」については「一か月で最も長く働いた日の残業時間の平均」、裁量労働制の人には「一日の平均労働時間」という二つの異なる調査のデータを比較していたことが分かる。この比較なら、「一般労働者」が長くなってもおかしくない。ケアレスミスではなく、明らかに意図的な操作だ。最終的に厚労相はデータを撤回する。資料を握る役所が、都合よくデータを抽出し、結論に誘導する。いったいどういう神経でこういうことをやっているのか。明々白々なインチキ=「ポスト真実」が国会の場でまかり通っていたわけだ。著者は「民主主義の土台を揺るがした、国民への背信行為」と批判する。

政権寄りの審議会メンバー

 この不適切な調査結果は、働き方改革法案に関わった労働政策審議会(労政審)にも資料として提出されていた。審議会のメンバーも、騙されたのか、それとも共犯者なのか。従来、労働法制の立案や改革を議論する労政審は、労働者、使用者、中立の三者で構成され、人数も同数の原則があった。安倍政権の関連機関ではそれが崩れ、「旧来の労使の枠組みに当てはまらないような課題や就業構造に関する課題などの基本的課題については、必ずしも三者構成にとらわれない体制で自由に議論する」との触れ込みで議論が進んでいると著者は指摘する。

 本書では、「働き方改革」に関わった多数の審議会や研究会のメンバー表が掲載されているが、それを見ると政権寄りの人が多いことに気づく。かつては全国紙の論説委員なども入っていたと思うが、そうした人の名前はほとんど見当たらない。

 近年、ネット業界を揺るがした「インチキ」では、DeNAの運営する医療系サイト問題がある。科学的根拠に欠ける記事や無断転用が発覚、休止に追い込まれたが、執筆していたのは「クラウドワーカー」だった。本書ではそうした非雇用の働き方を経産省が推奨していることも指摘されている。加えて、DeNAをはじめとするIT系の経営幹部は働き方改革に関する各種委員会の常連だ。また「非雇用」という働き方を検討する会議のメンバーには人材ビジネス関係者が入っている。いずれも「利益相反」の懸念がある。

 AIについても何かと話題になるが、日米のシンクタンクによって異なる調査結果が出ていることも紹介している。この種の調査はどうにでもなることの証だろう。

 いちばん笑ったのは「残業がなぜなくならないか」。しばしば「だらだら仕事をしているから」といわれるが、労使双方の調査で、そのようなエビデンスがないことも紹介されている。厚労省の調査では、業務量が多い、人が少ない、仕事に繁忙期がある、顧客からの不規則な要望に対応、などが圧倒的に上位を占め、「労働生産性が低い」は企業側の回答でも4.4%にとどまる。

 本書は「働き方改革」だけでなく、「俗論」にエビデンスがあるのかを常に疑り、「ポスト真実」に騙されないようにするテキストとしても役立つ。

  • 書名 「働き方改革」の嘘
  • サブタイトル誰が得をして、誰が苦しむのか
  • 監修・編集・著者名久原 穏 著
  • 出版社名集英社
  • 出版年月日2018年9月14日
  • 定価本体840円+税
  • 判型・ページ数新書・240ページ
  • ISBN9784087210484
 

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