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17通の遺書を残し、轢死を選んだ被爆作家が見た「幻の花」とは

  • 書名 原民喜
  • サブタイトル死と愛と孤独の肖像
  • 監修・編集・著者名梯 久美子 著
  • 出版社名岩波書店
  • 出版年月日2018年7月20日
  • 定価本体860円+税
  • 判型・ページ数新書・275ページ
  • ISBN9784004317272
BOOKウォッチ編集部コメント

 この夏、原爆投下から73年の広島を訪ね、ドームの傍らの木陰に小さな石碑を見つけた。原爆文学の代表作『夏の花』で知られる原民喜(1905〜1951)の詩碑。「碑銘」という短詩が黒い御影石に刻まれている。被爆して6年後に自死した作家が遺書に記した、とある。

 
 遠き日の石に刻み
     砂に影おち
 崩れ墜つ 天地のまなか
 一輪の花の幻
 

 天地を崩すような惨禍を越え、立ち現れる一輪の花の幻に、この作家はどんな思いを込めたのだろう。本書『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)を読んだ。すると、この詩を遺書に残すまでの原の生涯が、本人や親交のあった作家らの文と証言を積み重ね、丹念に再現されていた。友人や大切な人との幾つかのエピソードは、愛しくなるほど優しく、悲しい。原が詠んだ「一輪の花」への想像を大きく膨らませてくれる。 

 著者の梯久美子さんは、『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したノンフィクション作家。近著の『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』に続く評伝である。原を描くにあたり、著者は「死の側から照らされたときに初めて、その人の生の輪郭がくっきりと浮かび上がることがある。原は確かにそんな人のうちのひとりだった」として、原の自死から目をそらさず、克明に追うことから始める。

遠藤周作が遺書を受け取った

 再現される描写が生々しい。自死する前夜、知人宅の縁側に原が置き去りにしたクロッカスの鉢、中央線の土手をのぼって線路に横たわり、車輪に引きずられたという目撃談、火葬場の棺からゆっくりとした間隔で床に落ちる血。そして下宿の机には17通もの遺書が並べられていた。あの「碑銘」が記された遺書を受け取ったのは、フランスに留学していた遠藤周作だった。遠藤は日記に「原さん。さようなら。ぼくは生きます。しかし貴方の死は何てきれいなんだ。貴方の生は何てきれいなんだ」と記していたという。

 幼少期から人と接するのが苦手で、轢死という死に方をずっと恐れ、被爆後は、線路に火花を立てて走る都電にさえも怯えたという原がなぜ、轢死を選び、なお「きれいな死」と表されるのか。著者はこう推測する。

 「戦後の東京にひとり戻った原は、死者たちを置きざりにしてしゃにむに前に進もうとする世相にあらがい、弱く微かなかれらの声を、この世界に響かせようとした。そのために詩を書き、小説を書き、そしてそのあとでかれらの仲間入りをしたのである。もっとも恐怖していた死に方を選んで」

 本書は、そんな原のきれいな生と死の実像に迫っていく。著者は「死の想念にとらわれた幼・少年期があり、妻の愛情に包まれて暮らした青年期があり、広島での被爆をへて、孤独の中で書き続けた晩年の日々があった」として、原の時間を辿る。懐の深かった父、面倒を見てくれた姉、そして最愛の妻という大切な人を失った後、広島の実家に戻って被爆する。

 『夏の花』は、被爆直後の惨状を記録したメモに肉付けする形で書かれた。しかし、原は被爆からでなく、その3日前に主人公の「私」が花を買って妻の墓を訪れる挿話から書き始める。著者は、この冒頭の妻の死と、無数の被爆者の死を対比する。

 「死にゆく妻を、原は傍らで見守ることができたのだ。だが広島の死者たちはそうではなかった。『このやうに慌しい無造作な死が「死」と云へるだろうか』という叫びは、死ぬものと死なれるものが共有した時間のかけがえのなさを知る原にとって、心底からのものだったろう」

 この指摘は、物語の最後に、妻を探して路上の死体の顔をのぞき続ける「N」という男の挿話を置いた真意とも関わり、おびただしい死に直面した原の内面を鮮やかに照らし出す。

凛とした清々しいイメージ

 新しい事実も掘り起こしている。晩年の小説に登場する「少女U」には実在のモデルがいたが、今もなお健在であることをつかみ、インタビューしている。その少女は原の生活をほのかに温めてくれる存在だった。共通の知り合いだった遠藤周作が喫茶店で少女と待ち合わせていると、原がそっと現れて立ち去るエピソードは、思いの深さが伝わってきて胸を打つ。その少女が89歳となり、穏やかな戦後を過ごしてきたという著者の報告は、原が遺書で「いつも美しく元気で」と願った明るい未来が叶ったことを立証して印象的だ。

 著者はこう締めくくっている。

 「悲しみを十分に悲しみつくさず、嘆きを置き去りにして前に進むことが、社会にも、個人の精神にも、ある空洞を生んでしまうことに、大きな震災をへて私たちはようやく気づきはじめているように思う」「個人の発する弱く小さな声が、意外なほど遠くまで届くこと、そしてそれこそが文学のもつ力であることを、原の作品と人生を通して教わった気がしている」

 詩碑にある「一輪の花の幻」はあまりにはかないが、本書を読んだ後では、凛とした清々しいイメージが立ち上がってくる。それは、無数の死者と最後まで向き合い続けた原の強さと重なって見えるせいかもしれない。

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