読むべき本、見逃していない?

大江健三郎さんの原稿が4本も掲載されている理由

  • 書名 かつて10・8羽田闘争があった
  • サブタイトル山崎博昭追悼50周年記念〔記録資料篇〕
  • 監修・編集・著者名10・8山崎博昭プロジェクト (編集)
  • 出版社名合同フォレスト
  • 出版年月日2018年10月18日
  • 定価本体3900円+税
  • 判型・ページ数四六判・635ページ
  • ISBN9784772661249
BOOKウォッチ編集部コメント

 「羽田闘争」と聞いても、もはや何のことか分からない人が大半だろう。約半世紀前の1967年10月8日、佐藤栄作首相(当時)のベトナム訪問に反対する街頭闘争が羽田空港の近くであり、18歳の京大生、山崎博昭君が死んだ。

 世界的にベトナム反戦運動が盛り上がっているときに、日本で起きた衝撃的な事件だった。学生が警官隊との衝突で死んだのは、60年安保の東大生、樺美智子さん以来。さらには翌68年からの全共闘運動の導火線にもなった。

全国紙は「暴徒」キャンペーン

 その羽田闘争を忘れずに、しつこく反芻し、問い直している人たちがいる。「10・8山崎博昭プロジェクト」の面々だ。発起人には、詩人の佐々木幹郎氏や作家の三田誠広氏ら山崎君の大阪府立大手前高校時代の同級生、さらには社会学者の上野千鶴子氏、哲学者の鷲田清一氏ら京都大学の同期生や同窓生の名が並ぶ。

 「プロジェクト」の主要な運動は、「山崎博昭」「羽田闘争」をテーマにした書籍の発刊だ。すでに昨年、同窓生ら61人の寄稿を軸に『かつて10・8羽田闘争があった――山﨑博昭追悼50周年記念〔寄稿篇〕』(合同フォレスト)を刊行、大手メディアでも話題になった。さらに今回、その続編として同名タイトルで〔記録資料篇〕を新たに刊行した。佐々木幹郎氏が編集人。編集委員会のメンバーには三田氏や、大手前高校の出身で東大全共闘議長だった山本義隆氏の名前もある。

 〔記録資料篇〕は大別して三部構成になっている。第一部は「現認&裁判記録」だ。山崎君の死は警官隊の暴力によるものか、それとも学生が奪った警察車両に轢かれたものなのか。死因をめぐる裁判や国会論議が再録されている。第二部は、当時の新聞や雑誌の記事を集めている。事件がどう報じられたか、一望できる。

 「計画された暴力沙汰」「許せるか この事態」(朝日新聞)
 「羽田で学生デモ暴徒化」「奪った給水車にひかれ京大生一人死ぬ」(毎日新聞)

 全国紙の報道は学生を「暴徒」と決めつけ、死因は警察発表にもとづき早々と断定されていた。識者のコメントも、「暴徒だ! もはや学生ではない」(読売新聞)というトーンで埋まる。戦後民主主義の枠から大きくはみ出した学生たちの過激な行動は、マスメディアから完全に否定されていたことがよくわかる。

大学新聞が「号外」

 もちろん、こうしたいわゆる「商業新聞」の報道に対し、反発する声も本書では拾われている。中でも時代を感じさせるのが当時の大学新聞だ。

 京都大学新聞は事件の翌日、早々と「緊急号外」を出している。「山崎君(文学部一回生)虐殺される」の横カット見出し。本人の大きな顔写真が掲載され、「警察発表の死因に疑問点」の記事もある。「本日正午 京大で抗議集会」の告知も。同志社学生新聞も同日「号外」を出し、「機動隊、京大生を撲殺」の見出し。

 11日付けの慶応大学「三田新聞」もほぼ一面を事件の報道で埋め尽くす。12日付けの「早稲田大学新聞」は一面肩に「国家権力による学友の虐殺に抗議する」という「主張」を載せ、数ページにわたる「羽田特集」を組んでいる。本書ではこのように、マスメディアとは異なる「大学新聞」の報道ぶりがわかる。

 なかでも興味深いのは16日付けの東京大学新聞だ。社説に当たる「視角」という記事がなぜか2本出ている。一本は「反帝闘争への問題提起」という見出しの学生の行動に同情的な記事。もう一本は「地道な活動を」という急進的な闘争への批判記事。本書の解説によれば、東大新聞の編集部内で激論となり、前者の記事を現編集長が、後者の記事は前編集長が書いたのだという。「10・8」が「東大新聞」に与えた衝撃と混乱が分かる。まさに67年の「10・8」が戦後学生運動の大きな画期になったことを示している。もちろんこの段階では翌年、全国を揺るがす東大闘争が巻き起こるとは予測できていない。

「暴力反対」の大合唱に対する違和感も

 〔記録資料篇〕の3つ目の柱は、主として文化人・知識人が当時残した詩・エッセイ・追悼文などだ。ここで目を引くのは、大江健三郎氏である。

 本書では、「山崎君の日記を読んで」(週刊朝日 1967年10月27日号から)、「死んだ学生への想像力」(『持続する志』文藝春秋 1968年から)、「『暴力』とは何か」(同)、「第一部についてのノート」(同)の4本が再録されている。

 1人で4本も掲載されているのは大江氏だけだ。当時の学生に人気絶大だった高橋和巳氏でも2本どまり。本書の巻末には、掲載作品は著作権者の承諾が取れているという断り書きがあるので、大江氏は半世紀前の一文の再録に同意しているということだろう。温厚そうな大江氏と、羽田闘争のイメージは重なりにくいが、少なくとも大江氏が、「一人の若者の死」を重く受け止めていたことだけはわかる。今となってはノーベル文学賞受賞者の「発言」となるだけに、深い意味を持つ。

 本欄で近著『私の1968年』(閏月社)を紹介したフランス文学者、鈴木道彦氏は「一橋新聞」( 67 年10月16日号)への寄稿が再録されている。一言でいえば「暴力反対」の大合唱に対する違和感の表明だ。マスコミ報道のひどさを最も早く批判した知識人でもあった。やや珍しいところでは、近代史・文化史研究者、飛鳥井雅道氏による追悼文もある。当時は京大教養部で「日本文学」を教えており、山崎君は受講生の一人だったそうだ。

目撃者の証言も

 本書を細かく見ると、いろいろ発見があるが、中でも驚いたのが、初めて見た当日の山崎君の写真だ。プロの活動家として、セクトのヘルメット姿で突入したのだと思っていたのだが、なんとノンヘルメット。いわゆる一般学生の風体なのだ。羽田の橋の上と思われる場所でぎゅうぎゅう詰めになって、こちら側を向いている。周囲の学生も大半がヘルメットをかぶらず、角材も持っていない。いわば無防備状態だ。

 本書には、山崎君が逃げ遅れて、機動隊員二人にこん棒で数回叩かれ、すぐに血がぱあっと出て、誰か分かんないくらいの血の量になったという目撃者の証言も載っている。「暴力学生」と言われるのは、ちょっと気の毒だなと思った。生きておればいろいろ言いたいこともあっただろう。本書の編集人たちは、その思いを半世紀にわたって抱え込み、代弁しているということになる。

 そういえば昨年、ベトナム・ホーチミン市の戦争証跡博物館で、10・8山崎博昭プロジェクトと博物館との共催で、「日本のベトナム反戦闘争とその時代」展が開催されたそうだ。日本からもプロジェクトのメンバーがツアーで現地を訪れ、ベトナム戦争を戦った解放戦線の元兵士と交流したという。サイゴンがホーチミン市に名称替えすると思った人は、半世紀前にいただろうか。隔世の感だが、マスコミに叩かれたベトナム反戦運動にも歴史的に一定の意味があった証だろう。

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