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江戸時代の軍事施設がルーツの東京オリンピック会場

近代東京の地政学

 前回の東京オリンピックの開会式が行われた国立競技場を取り壊し、2020年の東京オリンピックの会場となる新国立競技場の建設が進んでいる。東京・千駄ヶ谷周辺にはこのほかにも神宮球場などスポーツ施設が集中している。都心の一等地なのに、これだけ広い土地が確保できたのはなぜだろう? という疑問に本書『近代東京の地政学』(吉川弘文館)が答えてくれる。

軍事施設の変遷を解説

 NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」風に言うと、「江戸幕府の火薬庫が千駄ヶ谷にあったから」というのがその答えだ。著者の武田尚子さんは早稲田大学人間科学学術院教授。江戸の古地図などの史料を参考に、東京・西南部に置かれた軍事施設の変遷を解説している。

 幕府の「焔硝蔵」は最初、江戸城にあった。明暦の大火で本丸、二の丸が炎上した際に奇跡的に爆発は免れたが、危険性が認識された。8年後に移転した先が千駄ヶ谷だ。甲州街道と大山道にはさまれ、譜代大名の屋敷に囲まれていた。「谷」なので火薬作りに欠かせない水も確保できた。

 明治になり軍用地が必要になると、この土地の周辺を買収し、青山練兵場が作られた。火薬庫は大塚に移転した。練兵場が出来ると、移動のための鉄道が必要になる。現在のJR中央線の前身、甲武鉄道は当初、新宿から北東方向に市ヶ谷に向かう計画だったが、陸軍から青山練兵場付近を通過するよう要望された。赤坂離宮の下にトンネルを掘って通過する段取りも陸軍が立てた。練兵場に引き込まれた支線に軍用停車場が作られ、そこから兵士は日清戦争に出征した。中央線が新宿から四谷へ南東方向に遠回りしているのは、この練兵場のためだという。

「尚武」から「勝負」へ

 さらに軍備拡張で代々木に練兵場が作られた。明治天皇の崩御とともに明治神宮の内苑は代々木御料地に、外苑は青山練兵場跡地に作られた。外苑には文化施設、体育施設が作られ、国立競技場へと連なる系譜がある。

 第二次大戦後、代々木練兵場跡地は米軍に接収され、「ワシントンハイツ」と呼ばれ家族住宅地区となった。日本に返還されるきっかけになったのが1964年の東京オリンピック開催。選手村に使うのが条件だった。このほか、屋内総合競技場も作られ、オリンピックのサブ会場となった。二つの練兵場がオリンピックの二つの会場になった訳だ。

 武田さんは、「寛文五年(1665)に千駄ヶ谷焔硝蔵が設けられて以来、三五〇年余、『尚武』から『勝負』へと、連綿と『武』に親和的な土地の特徴が存続してきた」と結んでいる。

 前回のオリンピックには、こうした江戸以来の「地政学」の影響が見られた。今回は湾岸地区にも選手村や多くの会場が展開する。「武」のにおいはおおいに薄らぐだろう。  

  • 書名 近代東京の地政学
  • サブタイトル青山・渋谷・表参道の開発と軍用地
  • 監修・編集・著者名武田尚子 著
  • 出版社名吉川弘文館
  • 出版年月日2019年2月10日
  • 定価本体1900円+税
  • 判型・ページ数A5判・196ページ
  • ISBN9784642083430
 

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