読むべき本、見逃していない?

「いだてん」は密かに「せごどん」とつながっている!

  • 書名 日本初のオリンピック代表選手 三島弥彦
  • サブタイトル伝記と史料
  • 監修・編集・著者名尚友倶楽部、内藤一成、長谷川怜 編集
  • 出版社名芙蓉書房出版
  • 出版年月日2019年1月12日
  • 定価本体2500円+税
  • 判型・ページ数A5単行本・ 260ページ
  • ISBN9784829507520

 NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で三島弥彦がクローズアップされている。日本最初のオリンピック選手。これまではマラソンの金栗四三のみが有名だったが、もう一人、三島も参加していた、というわけだ。

 三島はその後、陸上競技と離れ、実業界に転じていたこともあって、ほとんど忘れられた存在となっていた。本書『日本初のオリンピック代表選手 三島弥彦――-伝記と史料』(芙蓉書房出版)は写真・書簡・日記・草稿などから、三島の人間像を改めてたどった初の評伝だ。

東大を出て海外支店に26年も勤務

 三島は1886年生まれ。1912年(明治45年)の第5回ストックホルム・オリンピック大会に短距離選手として参加し、100メートル、200メートルでは予選敗退、400メートルは準決勝に進む権利を得たが、足の痛みで棄権、という結果だった。当時の日本にはまだ陸上競技が定着しておらず、世界との格差が歴然としていた。「私達のやっているのはカケッコで、外国選手のやっているはレースだった」と述懐している。

 マラソンの金栗も途中棄権。五輪初回のこの苦い教訓を糧に、日本は本格的に体育振興に乗り出す。その意味では黎明期の日本のスポーツ界を切り開いた立役者の一人だった。

 三島は当時、東京帝大生。野球や柔道などスポーツ万能で知られていた。卒業後は横浜正金銀行(のちの東京銀行)に就職し、海外支店に26年も勤務、1954年に亡くなった。社会人になってからは陸上競技などスポーツの世界とほとんど接点を持たなかった。

 本書は、伝記編と資料編に分けて三島の生涯をたどっている。伝記編は「弥彦の誕生と少年時代」「学生時代」「弥彦とスポーツ」「大学進学とストックホルムオリンピック出場」「それからの弥彦」と時系列に沿う形で詳述されている。資料編では「三島弥彦書簡」「三島弥彦日記」のほか「雑誌、新聞掲載文・談話など」が掲載されている。巻末には年譜や系図もあり、至れり尽くせりだ。本書の刊行は2019年になってからだが、NHKのことだから、本書の原資料にも当たってドラマをつくったと思われる。

「いやあ本当に運動の国宝的存在ですね」

 三島氏は、家族にもオリンピック出場の話はほとんど話さなかったといわれる。だが本書には極めて珍しい記事が再録されている。亡くなる少し前の1953年、「スポーツ毎日」の座談会に出席し、往時のことを振り返っているのだ。

 聞き手は同誌の編集長と毎日新聞の運動部記者。ここから浮かび上がってくるのは、三島の驚くほどのスポーツ熱だ。水泳、野球、柔道、相撲、ラグビー、ボートなど今の日本で普通に行われている各競技の草創期に、深くかかわっている。聞き手の編集長が思わず、「いやあ本当に運動の国宝的存在ですね」と感嘆している。中でも驚くのがフィギュアスケートだ。

 明治30年代半ば。三島は海外から本を取り寄せ研究を始めた。エッジがどうとか、ループとか書いてあるが、よくわからない。西洋人から靴を借りて、それを鍛冶屋に打たせて靴づくりもしたという。しかし、なかなか上手に滑れない。明治も43年ごろになって、長野の諏訪湖で初めて西洋人が滑るのを実際に見た。ちょうど日本のスキーの生みの親として知られるレルヒ大佐が現地を訪れ、スケートをやっていたのだ。なるほど本に書いてある通りだと得心したという。ついでにレルヒ氏からスキーも習ったそうだ。

 三島はのちに冬のニューヨークに出かけたとき、セントラルパークに立ち寄り、技を披露したことがある。バックで円を描きながら滑って見せたので、米国人らがびっくりしたという。

 三島は陸上の選手だったが、シーズンごとに全く違う競技をやっていた。夏は水泳、冬はスキーやスケート、雨の日は柔道というわけだ。

「せごどん」とつながる

 三島は、警視総監などを務めた明治の内務官僚、三島通庸(1835~88)の五男。通庸は「鬼県令」の異名を持ち歴史の教科書にも登場する有名人。NHKのドラマでは20歳ほど年が離れた長兄の三島彌太郎も出てくる。彌太郎は貴族院議員のかたわら横浜正金銀行の頭取を経て、日銀総裁も務めた。これまた当時の著名人だ。

 さらに加えて家系図を見れば、姉たちの嫁ぎ先がまたすごい。昭和天皇の側近だった内大臣牧野伸顕ほか、貴族院伯爵議員など。牧野の父は大久保利通、吉田茂は娘婿、寬仁親王妃信子と麻生太郎は曾孫にあたる。

 本書の編者の「尚友倶楽部」は1928年、旧貴族院の会派「研究会」所属議員によって設立された公益事業団体だという。三島の兄が貴族院議員を長く勤めていた縁で本書ができたのだろう。同じく編者の内藤一成、長谷川怜の両氏は歴史研究者。

 さかのぼれば三島通庸は薩摩の藩士だ。代々、能の鼓方を務める家柄だった。五十石というから上級藩士とはいえないだろう。若くして西郷隆盛や大久保利通らを中心とする結社「精忠組」に参加し、「寺田屋事件」では拘束されている。血気盛んな志士という感じだ。明治維新は薩摩の半径500メートル以内に住んでいた人たちによって成し遂げられたという話を思い出す。通庸はその後、新政府でのし上がって要職を務め、子どもたちを通して明治以降の日本に影響力を持つ一大閨閥を作り上げた。いわば立志伝中の人物だ。

 以下は時代がずっと下った話。三島弥彦の長男夫人のまり子さんは、父が横浜正金銀行勤務で海外生活が長く英・独・仏語が堪能だった。このため1958年に東京で開かれたIOC総会で実力者ブランデージ会長の秘書役を務めた。つまり64年の東京五輪誘致決定に向けて大いに貢献したとされる。ブランデージは、ストックホルム五輪に米国代表として出場しており、三島との奇縁もあった。まり子さんとブランデージの間では、そんな会話もされたかもしれない。

 こうして「いだてん」が、明治維新からストックホルム、東京五輪へとつながっていく。この辺りをじっくり振り返ると「いだてん」は、どことなく「せごどん」の別バージョンであることに気づく。NHK大河ドラマでは珍しい「現代モノ」といわれているが、ルーツは幕末にあり、広い意味で「大河」の「歴史モノ」の枠の中にあるという見方もできるかもしれない。

 本欄では『アフター1964東京オリンピック』(サイゾー)なども紹介している。

 

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