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30年前のあの事件・・・捜査一課のエースは「ピンときた」

肉声

 あれからもう30年もたつのかと思う。日本中を震え上がらせた連続幼女誘拐殺人事件。本書『肉声 宮﨑勤 30年目の取調室』(文藝春秋)は、独自に入手した取調室での録音テープをもとに当時の関係者らに再取材して単行本化されたものだ。

 著者はフジテレビ報道局の安永英樹さん。すでにこのテープにもとづいて2017年10月、ドキュメンタリードラマも放映、大きな反響があったという。

「今田(いまだ)勇子(ゆうこ)」の犯行声明

 「宮崎勤事件」とも呼ばれる本件の概要はこうだ。1988年8月から89年6月にかけて埼玉と東京で4歳から7歳の幼女4人が次々と姿を消した。遺体が発見されたケースもあった。何者かが幼女を誘拐して殺害したと見られた。このうちの一つの事件で「今田(いまだ)勇子(ゆうこ)」と名乗る人物から犯行声明文、告白文が遺族や新聞社に送り付けられた。しかも殺害した少女の遺骨が箱に入って遺族の自宅玄関前に置かれていた――。

 一連の事件とは別に、一つの事件が起きた。89年7月23日のことだ。東京・八王子市内の公園で6歳の少女を全裸にして撮影している男が強制わいせつの現行犯で捕まった。東京・五日市町に住む宮崎勤(26)だった。そのまま八王子警察が取り調べを進め、宮崎は8月7日に起訴された。

 この事件に当初から注目していた捜査員がいた。警視庁捜査一課殺人犯5係の大峯泰廣警部補(当時41歳)。大峯警部補は、それまでにも数々の難事件を担当してきた捜査一課のエースだ。八王子の事件については発生翌日に早々と報告を受けていた。そのとき、「とにかくピンときた。車で移動しているところや、年齢もそうだが、仕事が親の家業の手伝いで比較的自由に動けるという点が気になって、とにかく調べておいた方がいいと思った」と本書で振り返っている。

 連続幼女誘拐殺人事件では、犯行に使われたとみられる車が目撃されていた。それが宮崎の車とは車種が違うということで、この段階では捜査員の中で関連を否定する声も根強かった。

「まだ話してないことがたくさんあるよな?」

 大峯警部補は8月9日、八王子署に出向いて初めて宮崎と対面する。当時の両者の立場を言えば、片や、宮崎を連続幼女事件の本ボシの可能性あり、と睨む捜査一課のエース。他方は、八王子の事件で運悪く捕まってしまったが、この事件だけで逃げ切ろうとする容疑者、という関係になるだろう。

 本書は、取材班が入手した取り調べ状況を録音した27本のテープがもとになっているが、テープが残っているのは8月13日の調べから。したがって、初日の対決ぶりは、大峯警部補ら捜査官の記憶で再現している。しかし、何といってもここが白眉だ。30年前の調べ室のやり取りが、まるでテープがあるかのようにリアルに浮かび上がる。

 まず大峯警部補は、自分が捜査一課の人間だと名乗る。殺人、誘拐、強盗、放火をやる専門の係であり、「女の子の裸の写真を撮っていただけじゃ、俺たちは来ないんだ」「お前はこうして警察に来ているけど、まだ話してないことがたくさんあるよな?」とすごむ。宮崎は「どういうことですか? 全部話しています」。うつむいたまま、少しふてくされたような口調だった。

 午前中から午後にかけては身の上話や趣味の話が続いた。そしてじわじわと本題に入っていく。核心に踏み込もうとすると「黙秘権を使います」と宮崎は逃げる。警察はそれまでの調べで、宮崎の車のトランクに、宮崎とは異なる血液型の血痕を発見していた。それらを手掛かりに宮崎を追いこんでいく。そして夜中の10時すぎになって、宮崎が一気に1時間半、4つの事件の中の一つについて供述を始めた。

宮崎勤は結局どういう人間だったのか

 本書を読んでの感想はいくつもある。まず大峯警部補のすごさ。宮崎は自供しつつも、嘘を交えたり、話さなかったりすることがあった。そこを見逃さず、執拗に問いただす。実際、4件目についてはなかなか認めなかった。大峯警部補はのちに、オウム事件で土谷正実容疑者(当時)を担当して供述をとったという。土谷はオウムの化学兵器製造工場のような男。サリンや爆薬、覚醒剤など何でも作っていた。いわばキーマンであり、その土谷を落としたことでオウム事件の全体像が解明されたと言われるぐらいだから、功績は大きい。

 二つ目は取材班が録音テープを入手したこと。これは通常はありえない。今回の取材では捜査側関係者が協力しているので、どこから入手したかはほぼ推測が付く。ただし、テープは公判には出なかったようだ。それがなぜなのか、やや不思議な気がした。

 三つ目は宮崎勤が結局どういう人間だったのか。公判になって「犯行は死んだ祖父を再生させるための儀式だった」などと不可解な発言を続けたことは良く知られている。精神鑑定は何度も行われた。そのたびに診断結果が異なっている。

 「人格障害以外に特に精神病的な状態にあったとは思われなく、犯行時に物事の良し悪しを判断し、その判断にしたがって行動する能力は保たれていた」、「犯行時、手の奇形による人格の妄想発展を背景にして、祖父の死亡を契機に離人症及びヒステリー性解離症状(多重人格)などがあり、心身耗弱の精神状態にあった」、「犯行時には、すでに精神分裂病にり患しており、免責される部分は少ないが、心身耗弱状態にあった」。

弁護人や精神鑑定した医師も登場

 本書には当時の宮崎の弁護人や精神鑑定した医師も登場する。テープについての感想も聞いている。それらを踏まえて本書の取材班は「取り調べの音声テープを聞く限り、宮崎は自らの性的な欲求を満たすために犯行におよんだと明確に認めているのだ」と強調する。そして「今回、私たちが試みたのは、半ばメディアによって"怪物"に仕立て上げられた宮崎勤という人物を、どこにでも存在し得る"一人の人間"として捉えなおす作業だった」と振り返っている。

 この部分について評者は本書を読んで異なる感想を持った。「性的な欲求を満たすために」性犯罪を行う人間は少なくないが、幼女のみに限って、しかも犯行後に殺すことをくり返し、平然としている人間は極めてまれだ。宮崎から、被害者や遺族への謝罪の言葉はなかったという。世界的にはそうした犯罪者がたまにいるようだ。評者の印象では宮崎は彼らと似た極めて特異な犯罪者の一人のような気がする。どこにでもいたら大変だ。

 精神鑑定の結果をどう見るかもむつかしい。読み方によっては、濃淡はあるものの、いずれの鑑定も「普通ではない」ことを示唆している。仮にプロの精神科医を軒並み騙したとするなら、それはそれで宮崎の「特異性」を際立たせる。なにしろ異常犯罪はケースが少なければ少ないほど分析や類型化が難しい。それに、鑑定の判断が分かれていることからも分かるように、精神医学は、まだまだ未知の領域が少なくない。同一人でも、時期や状況によって精神状態には揺れがある。本書では、事件前からの宮崎のやや尋常ならざる様子も記されている。だからといって責任能力がないということではないのだが。

 本書は知られざる宮崎勤の取調室の様子を明らかにしたという意味で画期的な労作だ。有名事件の取調室がここまで赤裸々になるのは初めてではないか。しかし、「肉声」と「公判」を対比し、結論付けるのは少々性急ではないかと感じた。すでに宮崎は死刑執行されている。また、本書では匿名化されているとはいえ、事件細部のことが改めて書かれているので、遺族にとってはつらいものがあるだろう。彼が撮影していた盗撮写真の掲載にはやや違和感があった。

 事件の大半は昭和の最後に起きた。平成に入ってさらに池田小事件、神戸連続児童殺傷事件などが起きている。そのたびに評者は、すでに欧米で起きているような無慈悲・不可解な事件がいよいよ日本にも波及してきたと感じることが多かった。

 本欄では関連で『警察官という生き方』(イースト新書Q)、『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』(講談社)、『「オウム」は再び現れる』(中公新書ラクレ)なども紹介している。

  • 書名 肉声
  • サブタイトル宮﨑勤 30年目の取調室
  • 監修・編集・著者名安永英樹 著
  • 出版社名文藝春秋
  • 出版年月日2019年1月25日
  • 定価本体1600円+税
  • 判型・ページ数四六判・243ページ
  • ISBN9784163908687
 

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