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「神の声」が聴こえなくなったのは、なぜ?

善く死ぬための身体論

 『善く死ぬための身体論』(集英社)は、善く死ぬための精神論として語られる抹香臭い説教書ではない。善く生きるための身体論だ。体を媒体にして自らを知ることが、善く生きることに通じ、逆説的だが、善く死ぬことになるという。

超自然的な体験や心象が語られる

 本書は、仏文学者の内田樹さんとヨーガ(ヨガではなくヨーガが正しいそうだ)行者の成瀬雅春さんによる対談だ。内田さんは、自己と他者をめぐる独特の哲学を展開したレヴィナスの研究が専門。日比谷高校中退、大学入学資格検定に合格して東京大に進学、仏文学だけでなく合気道や能楽も実践する。

 成瀬さんは高校卒業後、ジャズマンを経てヨーガ指導者、倍音声明協会会長。空中浮揚の体験があるとされ、その写真が新聞社系週刊誌に掲載された。サクソフォン奏者でもあり、ジャズは2人の共通の趣味だという。

 対談では、超自然的な体験や心象が語られる。信用できないと思う人が多いかもしれない。ペテン師が横行しているからだ。しかし、「超自然現象は存在しない」と言い切ってしまうのは、盲信するのと同等に非論理的で感情的だ。存在しないことは証明できないからだ。

 本書は、内田さんが文化や歴史などについてのトピックをテーマとして取り上げ、自らの解釈を提示。成瀬さんは関連する修行上での体験を語って、テーマが掘り下げられていく構成になっている。体験の実感が伝わってくれば、この対談を読む意義になる。

「文字の出現」で変わったこと

 一部を紹介するとこうだ。

 内田:『神々の沈黙』のジュリアン・ジェインズは「昔、神と呼んでいたのは、集団的な経験知の蓄積だ」という仮説を立てている。ある事態に遭遇したらこういう裁定を下せばいい――ということが集団的に記憶される。そうした集合知を太古の人類は右脳に蓄積、困難な状況に遭うと集合知が発動して、右脳から「神の声」として左脳に聴こえてくる。(この神の声を聴く仕組みは)『イーリアス』の登場人物やジャンヌ・ダルク、統合失調症患者の幻聴に共通するらしい......それがある時期から聴こえなくなった。(一神教では)宗教が体系化し、外部化されるにつれてそうなった。
 成瀬:(多神教の場合は宗教を体系化せず、行為の中で神と交流しているため)現代のインドの人たちも、結構それ(神の声を聴くこと)をやっている。商売がうまくいかないと寺に行って「どうしたらいいですか」と尋ねる。1週間から10日ほど祈っていると、「こうしなさい」と言われる。ヨーガをやっている私の場合は、瞑想を通じて答えは自分の中から出てくる。その瞑想では自分自身の中へ中へ探っていく。データベースを探っているわけだ。

 神の声が聴こえないのは、現代では当たり前のことだ。聴こえるとむしろ不都合でもある。しかし、あの分厚い『古事記』が書かれたのは稗田阿礼の記憶に拠っていたことや、『パイドロス』の中で、文字の出現は記憶の減退につながるとプラトンが憂慮したことを考え合わせると、文字の出現と神の声が聴こえなくなったことは無関係ではあるまい。メモをするとそのことを忘れてしまう経験は誰にもあるが、記憶の体系化(ロゴス)に文字は不可欠だ。文字と記憶の関係。それはもう一度考えられていいテーマだ。文字がなかった古代人の思考を問うのに欠かせないからだ。

在原業平を思い出す

 成瀬さんはこの後、知の蓄積は右脳だけではなく身体全体にあって、その知を想像ではなく体感的に意識で捉えるのに瞑想が必要だと指摘。内田さんが、瞑想についてミラーニューロンの働きによる実験的な幽体離脱現象との類似点を探る。

 内田:他者の行動を見ているときにその行動をシミュレートするミラーニューロンがある。それを強化する薬剤を、何十人かに投与する実験をしたら、全員が幽体離脱の幻影を見た、と報告したという。なぜだろうか。僕なりの仮説がある。ミラーニューロンを強化すると、他人の動きを自分の動きであるかのように感じる。それが聴覚、視覚にも広がると、自身の身体を超えて俯瞰するようになる。
 成瀬:瞑想がそうだ。瞑想は自分で自分を見ること。そのためには最低限でも自分の肉体から離れる必要がある。離れることで自分を見ることができる。ミラーニューロンと同じだ。意識は(体感を持ちながら)肉体から離れる......そして、自分は何だろう、どうして生まれたのだろう、どうやって死ぬのだろうと、自分にかんする疑問を少しずつ解決していく......そうなると、死は怖くない。

 どう死ぬかは大きな問題だ。思い残しが無いようにしたいと思う。そのためには雑念を払しょくしなければならない。評者は集中力がないので、瞑想など到底できない芸当だと思ってきた。しかし、本書には呼吸に意識を当てていると意識の集中が可能になる、というアドバイスが述べられている。また死後の意識について、幻影肢と関連させて語られるトピックもある。

 読んで評者が連想したのは業平だった。「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」と、辞世に詠んだ平安初期のプレイボーイ・在原業平だ。つまらない歌だと見過ごされがちだが、この歌に悟りを見い出したのが小林秀雄だった。講演の中で「死を怖れてはいない。笑いさえもがある」と指摘している。本書も全体に流れているのは、いわば死が怖くなくなった悟りとユーモアだ。

 内田さんには『そのうちなんとかなるだろう』(マガジンハウス)、『ローカリズム宣言』(デコ)、『困難な成熟』(夜間飛行)など、成瀬さんには『心身を浄化する瞑想「倍音声明」CDブック』(マキノ出版)、『クンダリニーヨーガ』(BABジャパン出版局)など多数の著作がある。

BOOKウォッチ編集部 森永流)

  • 書名 善く死ぬための身体論
  • 監修・編集・著者名内田樹、成瀬雅春 著
  • 出版社名集英社
  • 出版年月日2019年4月17日
  • 定価本体860円+税
  • 判型・ページ数新書判・256ページ
  • ISBN9784087210736
 

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