2024年 4月 20日 (土)

片目を失ってもパイロットになれる 米国の空を舞う日本人の挑戦

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誰もが夢を追い続ける資格がある

   ――2016年には、念願だった事業用操縦士(コマーシャルパイロット)の免許を取得されました。ここにこだわった理由は何ですか。

前田   ひと口にパイロットと言っても、すぐにジャンボジェット機を操縦できるわけではありません。米国ではエアラインパイロットになる前に、自家用操縦免許、次に事業用または飛行教官の免許を取得する必要があります。操縦経験や時間を積み上げてから、上級パイロットを目指すのです。私が取得した事業用操縦士免許は、遊覧飛行や、スカイダイビングを希望する客を上空まで連れていくための飛行、また農薬散布の飛行と、料金を頂戴して乗客や貨物を運べるライセンスです。
   現在は、飛行教官になる訓練を受けており、遠くない時期に教官としてシアトルの空を飛ぶことになるでしょう。また2016年は、米国航空身体検査の第1種(Class 1)を取得しました。これはエアラインパイロットに適用される身体検査の証明です。つまり片目が見えなくても、健康上問題ないと医師が判断した場合、旅客機の操縦士と同等に扱われるということです。

   ――ご自身の目標達成を目指すと同時に、積極的に講演をして情報発信していらっしゃいますね。その目的は?

前田   2008年から活動を続けていますが、2016年に「Aero Zypangu LLC.」を立ち上げました。私は現在も航空業界で仕事をしていますが、並行してAero Zypanguの代表として、片目が見えない事業用操縦士として、障害者が社会で活躍できる場があると証明すること、航空関係者に「SODA」や米国航空法の航空身体検査控除を広く理解してもらうこと、若い世代が航空業界にもっと興味を持ってもらうことを目指します。
   講演する相手の多くは、日本人です。米国の場合、私のように身体に障害を持つ操縦士はそう珍しくはありません。でも日本では、私は「特別」です。聴衆が若い学生だと、耳の痛い話がいっぱいでしょう。でも講演後は「自分がいかに恵まれていたか気づかされました」「もっと早くこういう大人の話が聞きたかった」といった反響があります。これまで講演を聞いてくれた若者のなかには、旅客機操縦士を目指して修行中の人や客室乗務員へのあこがれを抱く女性が、私の話で「覚悟が決まりました」と言ってくれたりしました。私の活動は小さいですが、こうした若者を応援するのが役割です。
   よく、「なぜ飛び続けるのか」と質問されます。「日本でできなくても、必ずどこかで活躍できる場所がある」、これを証明するためです。交通事故で片目の視力を失った当時18歳の私が、夢を見ることも目標を語ることも、大人たちは許してくれなかった。だから、誰もが夢を追い続ける資格があるという「生き証人」として、飛び続ける必要があるのです。

前田伸二さん略歴
Aero Zypangu LLC.代表。北海道生まれ。交通事故で右目の視力を失うも、2002年に渡米後、2005年にエンブリー・リドル航空大学大学院で航空安全危機管理の修士課程を修了。同年、単発・双発計器飛行付自家用操縦士免許ほか単発水上とハイパフォーマンスの操縦士免許を取得する。2016年には事業用操縦士となり、現在は飛行教官を目指している。

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