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「ワンマン経営」の段階は不可欠だ でもそれだけでは限界がある

   成長する企業というものは、初期段階においては経営者の行きすぎとも思える「ワンマン体質」が引っ張って行くことが大半です。むしろ、合議制などという生半可なやり方では、決断の鋭さもスピードも不足してしまいます。

   しかし、それが通用するのは会社が若くて小さいうち。その先は、事業を推進する役割を分担し、それぞれ任せられる人材を育成して自らの手綱を徐々に放していくことが、その先の会社の運命を決定づけることになるのです。

銀行から「あなたのやり方では無理」と引導を渡された

急成長した会社には「次に必ずなすべきこと」がある
急成長した会社には「次に必ずなすべきこと」がある

   昔お世話になった方の葬儀で、久しぶりにA氏と再開しました。以前はドラッグ・ストアチェーンの社長をしていたのですが、今は50代前半の若さで隠居状態にあるとのこと。

   A氏は、先代の創業社長の甥にあたります。地域型ドラッグ・チェーンを確立した先代が、食品スーパーや外食などへの多角化路線で業績不振と借入過多に陥ったところを、40代の彼が引き継いで立て直した実績があります。

   徹底した選択と集中で銀行の協力を取り付け、私がお付き合いしていた7~8年前は業績がV字回復し、店舗も続々新設するなど絶好調にありました。

ところがその後、予想しなかったことが起こりました。自社の営業エリア内に同業大手のライバル店が相次いで進出し、価格競争に敗れて泣く泣く同業に身売りする羽目に陥ったのでした。

   ライバルとの大きな違いは、仕入れやオペレーションのコストの差。当時の彼は品ぞろえから仕入れや販売の値決め、出店計画や財務管理などを全部自分で決めていたそうです。

「僕が立て直した会社だからと、あの頃は自信過剰になっていたのかもしれません。僕にしかこの会社は運営できないと思っていたのは事実ですから。しかし銀行から、あなたのやり方ではもう限界だと引導を渡されたんです」

   メイン銀行は会社運営が行き詰る前の身売りを条件に、融資取引を継続しました。社内に後任も育っていなかったので、新たな分業体制にも持ち込めませんでした。若かったA氏は「後任育成なんて先のこと」と思っていたのが落とし穴だったようです。

「人任せは手抜き」という先代の言葉が仇に

   A氏が何もかも自分でやろうとしたことには理由がありました。彼は叔父である先代からいわゆる英才教育を受けていて、入社当時からこう言い聞かされて来たのだそうです。

「経営者たるもの、基本会社のどのような部分も人任せにするな。社長の人任せは、会社の死を招く手抜きである」

   先代は何もかもを自分でやるというやり方の下で、一時期は地域でナンバーワンになり、その延長で拡大路線を歩んできたわけですから、その影響は多大でした。

   しかし先代の失敗の原因が「ワンマン経営を維持したままの拡大路線」であったことには、当時は気づかなかったようです。さらには自分が叔父のスタイルを引き継ぎながら会社を立てなおしたことも、反省の機会を逸する原因にもなりました。

   また、社長一人による管理では、攻めはともかくコスト管理や大胆な仕入れの代替策にまでは手が回らなかったということです。分業ができていれば、攻めと守りを並行してできたかもしれません。

   A氏は「今度は先々を考えて、若い人たちと一緒にビジネスをつくって行こうと、今はそんな一緒にやれる人材を探しているところです」と言っていました。もともと商才に長けた方だけに、次代を担う人材を育てながら進められれば、氏のビジネスは今度はうまく展開するのではないかと思いました。(大関暁夫)