J-CAST ニュース ビジネス & メディアウォッチ
閉じる

ペーパーテストをなくしても社会は変わらない

   政府の教育再生実行会議が「大学の二次試験から学科試験をなくし、面接など人物評価にシフトする」というプランを検討しているという。いわゆる"ガリ勉"タイプだけではなく幅広い人材を受け入れるのが目的らしい。

   筆者自身の考えを言っておくと、「多様な人材を受け入れる」という方向性自体は正しいと思う。企業にせよ教育機関にせよ、組織として発展していくためには、それは必要不可欠なものだ。ただ、だからといって敷居を低くするだけでは問題は解決しない。というわけで、簡単に論点をまとめておこう。

「昔から一貫してバカ」が混じるようになるだけ

   昔から日本の企業と大学の間ではある論争が続いていた。

企業「日本の大学はぜんぜん使えない」
大学「企業が大学教育をぜんぜん尊重しないからだ」

   使えないから無視するのか。無視するから使えない(ように見える)のか。筆者は昔から一貫して「ほぼ全面的に企業が悪い」という意見である。

   内定出した後になって成績証明書を提出させたり、授業のある平日に平気で面接やイベントをぶつけてきたり、トップが日経新聞の"私の履歴書"で「学生時代は全然勉強してなかったけど、いまや社長だもんね、ヘヘン」とワルぶって語っちゃうような社会で、誰が真面目に勉強しようと思うだろうか?

「そうか、入学したらもう勉強しなくてもいいんだ!」

   と早合点して遊び呆けてバカになるだろう(少なくとも筆者の周囲の文系東大生は全員そうだった)。

   では、なぜ日本企業は大学教育の中身をぜんぜん重視してないかというと、終身雇用である以上、できるだけ若くて無色透明な人材を採って、自社に特化した形でじっくり育成した方が合理的だからだ。

   大企業の新卒採用で「だぶってていいのは2年まで」とか「6大学以上」なんてポテンシャル重視の暗黙基準があるのは、こういう理由からである。

   こういう状況を放置したまま入試という入り口だけを多様化させても、「昔そこそこ勉強ができたバカ」の中に「昔から一貫してバカ」がいっぱい混じるようになるだけだ。おそらく審議会が熱望しているであろう「卒業時点で何か光るものがあるエリート」は育たないと思われる。

入社時の賃金に差をつければ真面目に勉強する

   企業は企業で、自分たちで何らかの学科試験的なプロセスを作って代用するだろうから、そういう意味では入試を4年間後にずらすだけとも言える。

   とはいえ、ここが組織というものの悲しいところで、教育再生会議からすれば「労働市場の流動化や企業内改革が先である」なんてことは分からないだろうし、分かっても立場上言えないだろう。

   でも政府からは早く仕事しろ提言出せとせっつかれる中、はるか先の多様化というゴールに向かって「学科試験廃止」という超ロングパスを放り込まねばならなかったのだろう。

   まずは企業が横並びの一括採用を見直し、入社時の賃金や序列に差をつける。キャリアパスを明確にし、外国人や留学生が定着する組織風土にする。そして、トップにせめて「いやー勉強しなかったから大変でしたよ」と謙遜するくらいのリテラシーを仕込む。

   そういう地道な作業の結果、大学は内側から変わっていくだろう。入試の議論は、やるとしてもそれからでいいのではないか。大学は社会の鏡なのだから、鏡に向かって「おまえが変われ」と迫ったところで問題は解決しないのだ。

   ※全体の見直しではなく、大学側が自主的に推薦枠を作る程度の話なら筆者はむしろ賛成だ。大学、企業の双方にとっていい刺激になるだろう。バカが増えると心配する暇があったら、バカでも卒業できてしまうザル試験を何とかしろと言いたい。(城繁幸)