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「誰も辞めない組織」は恐ろしい 体育会系採用の光と影

   先日、「大阪府警の一芸採用」についてメディアでコメントする機会があった。なんてことはないニュースなので軽く触れる程度で済ませたが、その後にいろいろな出来事があって考えさせられてしまったので、ここでまとめておきたい。


   まず、大阪府警の一芸採用だが、スポーツ等で実績のある人間を、従来の学科試験とは別コースで採用するものだ。「警官なのだから体力がある人材を欲しがるのは当然だろう」と思う人もいるかもしれない。確かにそれもあるかもしれないが、本当の狙いは、3年で2割に上るという府警の早期離職率の抑制にあるとみて間違いない。そして、この採用方針が一定の効果を上げることもまた間違いないはずだ。

体育会系が評価される理由


   なぜか?それは民間企業が何十年も前から"体育会採用枠"的な枠を内々に作って体育会OBを優遇し、実際に彼らは組織の一員として高い実績をあげているためだ。その手法を取り入れるにあたって(企業みたいに人事内部でこっそりやってしまうと)コネだ縁故だと騒がれるから、今回は公式に"一芸採用"として世に出したというところだろう。


   筆者が常々言っているように、終身雇用型の閉じた組織と言うのは、濃密なムラ社会のようなものであり、民主主義に基づく一般社会とは異なるルールによって運営されている。労働市場が流動的であれば、中で働く人たちは社員である以前に社会の構成員であることを選べるのだが、ムラの住人の多くはムラ人であらねばならない。


   だから、20年近くにわたって代々粉飾決算を受け継ぎ続ける会社があったり、過去の誤報を認めず21世紀の今でも嘘の上塗りを続ける新聞社もあったりする。彼らはよき社会人やジャーナリストである前に、組織に忠実な組織人なのだ。


   だが、経済環境の変化や個人主義の浸透によって、新人は年ごとにこうしたギャップを受け入れづらくなりつつある。ネットではいくらでも外の世界の情報に触れられ、第二新卒市場へのアクセスも容易になったのだから仕方が無い。不況にもかかわらず3年内離職率が高止まりしている背景には、こうした構造的事情もある。

"病んだ部分"を温存してしまうリスク


   その点、彼ら体育会出身者は、学生の時点ですでに一定の組織人としての薫陶を受けていて、比較的スムーズにムラ社会の一員に染まりやすい。警官に限らず、別に誰かと取っ組み合ったり重い荷物を運んだりしなくてよい職種まで体育会系が好きなのは、こうした事情があるからだ。実際、筆者の経験で言っても、体育会出身者は採用後の評価も非常に安定している人が多い印象がある。


   一方で、それはもろ刃の剣でもある。確かに彼らは組織に馴染み、離職率も抑制されるだろう。でも、彼らに組織を変革することはあまり期待しない方がいい。既存のルールや暗黙の慣習といったものにメスを入れるのは、彼らのもっとも苦手とすることだからだ。


   「今の組織はパーフェクトだから、変えなくてもよい」というのならそれでもいいが、筆者の記憶に残るだけでも、大阪府警は次のような事件が複数起きている組織だ。


   たとえば、

大阪府警巡査長が自殺 上司から罵声、いじめやパワハラ常態化 4人を懲戒処分(産経新聞)

ハンバーガー15個、部下に"罰ゲーム"で大食い強要の巡査部長処分(同)

といった報道もなされている。


   こんな組織が、はたして「変えなくてもよい」などと言い切れるのだろうか。


   というか、むしろ、そうした上意下達カルチャーがこうした事件を引き起こしたのではないのか。筆者は、いまどきこんなことやってる民間企業なんて聞いたことがない。3年で2割辞める新人よりも、どう考えても組織の側が病んでいると思われる。組織人として耐性の強い人材をそこに投入するのは、その"病んだ部分"を治すどころか温存してしまうリスクすらある。

人とは本来「ほっておいても一定数が辞めるもの」


   そして、再審請求が認められて48年ぶりに釈放された袴田氏の一件からも、筆者は濃密なムラの論理を感じている。上司や先輩が逮捕した被疑者なのだから、どんな手を使ってでも公判を維持しなければならない。そうしたムラの論理の積み重ねが、48年もの間、一人の人間の身柄を拘束し続け、ついには司法に「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがある」と断罪される顛末にいたった本質ではないのか。


   もし警察や検察といった組織の人材が、自身が組織人である以前に市民であるという意識をもっと共有できていれば、はたして同じ結果になっただろうか。警察官の一芸採用は、間違いなく「辞めない、ガッツのある優秀な警官」をもたらすだろう。でもそれが本当に社会全体のためなのかどうかは別問題だ。


   筆者の経験でいうと、人とは本来「ほっておいても一定数が辞めるもの」であり、人の出入りのない組織は必ずどこかが狂っているものだ。一企業なら狂うのも自由だが、狂った権力機関だけは勘弁願いたいと思うのは筆者だけだろうか。(城繁幸)