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「ノーベル賞」中村修二氏の「怒り」の正体とは何か

   先日、本年度のノーベル賞受賞者が発表され、めでたく日本からも3人のノーベル物理学賞受賞者が誕生した。同時に、そのうちの1人、元・日亜化学工業の中村修二氏が米国籍を取得している事実も話題となった。だから、正確にはノーベル賞受賞は2人の日本人と1人の元日本人(現アメリカ人)ということになる。


   さて、中村氏と言えば、特許に対する対価として会社に起こした200億円訴訟を記憶している人も多いだろう。それをもって「日亜化学のせいで中村氏はアメリカに移住した」と言い切る人までいる。実際、受賞後のインタビューでも、氏は自らのモチベーションの源泉が『怒り』にあると認めるなど、今でも日本の中にある何かに対する怨念を言葉の端々ににじませている。


   氏をアメリカへ追いやったものとは何なのか。いい機会なのでまとめておこう。

日亜がケチなのか、中村氏が「強欲」なのか

   日本企業と従業員の関係はちょっと特殊で、日本企業に正社員として就職するということは、企業という運命共同体に入れてもらうことを意味する。そこに入ってしまえば、よほどのことが無い限り、個人は65歳まで守ってもらえる。


   でも共同体なのだから、あまりわがままも言えない。担当業務や勤務地は選べないし、有給休暇も思うようには使えない。共同体の都合に合わせて残業もいっぱいこなさないといけない。何より「オレはすごく頑張ってるんだから、もっと分け前を寄越せ!」なんて言うのはタブーだ。なぜなら共同体である以上、他の人たちにも分配しなければならないからだ。


   政府も、戦後の長い間、こうした共同体をずっと尊重してきた。日本の労基法には長時間残業を規制する上限が事実上存在しない(いくらでも抜け道がある)し、ちょっと本腰を入れて調べてみると、8割の事業所で違反が見つかるくらい、労基署も労基法違反には大らかだ。運命共同体さえ維持してくれるなら、その中での多少の違反には目をつぶりますよということだろう。


   さて、今から35年ほど前、徳島のある企業に、地元の若者が入社した。彼は会社の一員として大切に育てられ、会社のお金でアメリカの有名大学にまで留学させてもらえた。運命共同体なのだから、若いメンバーを育てるのは当然のことだ。若者も立派に期待に応え、やがて会社に莫大な利益をもたらすことになる特許もとった。そう、その若者とは中村氏だ。

双方に不幸な行き違い

   でも、彼は留学やその後の海外での仕事を通じて、もう一つの世界を知ってしまった。それは、運命共同体など存在せず、個人と組織が契約によって結びついた流動的な世界だ。共同体ではないのだから組織は個人を守らないし、大事に育ててもくれない。だが、優秀であれば、他の従業員の何百倍もの報酬を払うし、起業やストックオプションなどの制度も充実している。

「アメリカなら自分はきっと何十億円も稼げたはずなのに」

   これが、氏の怒りの本質だろう。筆者自身はそれを強欲とは思わない。優秀者が多額の報酬を受け取るのは当然の権利であり、その機会を奪われた人間が侮辱と感じるのは自然なことだからだ。


   ただ、徳島の無名の若者だった氏を育てたのは、あくまでも日亜化学という運命共同体であり、そこに属したからこそ、氏は今の高みに到達出来たように筆者は思う。ちなみに、日亜は中村氏の在籍中、年収2000万円近い役員待遇を提供している。氏が最初からアメリカで活動し同じほどに成功した場合の利益よりははるかに少ないかもしれないものの、一つの共同体としては精いっぱいのもてなしだったのではないか。


   というわけで、筆者は日亜をケチとも、中村氏を強欲すぎるとも思わない。ただ、曖昧さの多分に残る共同体システムを通じて、双方に不幸な行き違いが生じてしまったというのが筆者の見方だ。

運命共同体から契約型組織へ

   時を同じくして、特許権をすべて会社帰属にするという方針が政府内で持ち上がっている。本来、世界的に見ても、業務の範囲で行った研究成果は会社に帰属するか、原則自由とするのが主流だが、日本の場合、従来はなぜか本人帰属とされていた。その理由は知らないが、実際問題として「仕事を通じて取得した特許の権利は無条件で自分のものだ」という事実が「組織は後々必ず自分に報いてくれるだろう」という空気のような安心感につながり、運命共同体の一員であり続ける上で一役買っていたのは間違いない。


   では、本人帰属を見直し、原則として特許は会社帰属とした場合、何が起こるか。特許が会社のものとなる以上、会社は将来に出世で従業員に報いる必要はなくなる。となると、従業員は、入社時や毎年の雇用契約の見直しを通じて、あらかじめ報酬について取り決めておく必要がある。


   たまに「特許の会社帰属は、従業員に報酬を払わずに済むようにするため。財界の陰謀だ」的なことをいう人がいるが、それは大間違いだ。会社が優秀な研究者を雇用するには、高額な年俸や柔軟な雇用契約を用意する必要が出てくるだろうし、それをやらない会社からは優秀者が流出し、早晩淘汰されることになるだろう。要するに、運命共同体から契約型の組織に移行するということであり、従業員は(共同体の一員として)もはや我慢する必要がなくなるのだ。


   「共同体の一員として、将来の出世で報いる」という報酬システムは、既に多くの企業で機能不全を起こし、往年の名エンジニア達が満足のゆく報酬を受け取れない状況になっている。2000年代以降、対価を求める元社員による訴訟が相次いだ背景には、そうした事情があるのだ。日本企業が優秀な人材を確保し、これからも高い成果を上げ続けるには、共同体方式から契約型組織への移行は避けられないだろう。そのためにも、特許権を会社に帰属させ、トラブルの芽を摘みつつ変革を後押しすることは重要なステップだ。

中村氏のメッセージにこたえるために

   筆者は仕事柄、中村氏のメッセージをずっと追っているが、今回の受賞後の発言を聞いていると、かなりイメージが変わってきたように思う。以前は、それこそ会社に対する怨念のようなものを前面に打ち出していたが、それがかなり薄まり、自分を引き上げ、チャンスを与えてくれた経営者への感謝の念まで述べている。


   一方で、怒りというキーワードを述べるほど怨念は健在で、氏は若手研究者に日本からの脱出を勧めてもいる。恐らく、中村氏は、自らを縛っていたものが一企業の問題ではなく、社会全体にわたる昭和的価値観にあると気づいたのではないか。個人を縛り付ける運命共同体も、そこに入るために列を作るリクルートスーツ姿の学生たちも、経済活動と隔絶したままガラパゴス的な殻に閉じこもり続ける日本のアカデミズムも、そしてそれらを良しとしていつまでも変わろうとしない日本社会も、氏の怒りの対象のように筆者には思える。


   特許権の見直しや労働市場改革等、幸いにして現政権は進むべき方向自体はわかっているように見える。後は我々有権者がしっかり後押しし、その歩みをとどめないこと。それが、中村氏の怨念を絶ち、その怨念がたたり神のようになるのを防ぐ唯一の道ではないか。(城繁幸)