J-CAST ニュース ビジネス & メディアウォッチ
閉じる

「大学教授」のドロドロした、いや、素敵な世界

「僕は小さいころから大学教授というのに憧れていて・・・どうやったら大学の先生になれますでしょうか?」
「うちの子は、小さいころから理科が大好きで将来は科学者になりたいって言ってたんです。先生、大学に残って先生になる、なんて可能でしょうか?」
「将来、大学の先生になりたいんです~。なり方教えてくださ~い」

   まあ、私も大学教員の端くれだから、たまにこのような質問を頂戴する。医者、弁護士、大学教授なんて昭和時代のステータスシンボル的な職業だった様な気もするが、教授以外は国家試験という関門をクリアできたかどうかで少なくと資格は決まる。その点、大学の先生っていうのは...なり方が謎の職業の典型かもしれない。ちなみに、医者、弁護士、大学教授の中で、一番貧乏なのは大学教授ね。しょせん個人開業は不可能なサラリーマン。

昔は「縁故っぽい」採用というのが結構・・・

いろいろ大変なわけよ
いろいろ大変なわけよ

   かっては国立大学の先生は国家公務員であった。「文部(科学)教官教授」とか「文部(科学)教官助手」とかの肩書きを持っていた。私も職に就いた際、「公務員の心得」みたいな文章を読まされた記憶がある。

   しかし、2004年春の「国立大学独立法人化」により、「同意書」にサインを求められ民間人になった。でも、同意しない人も少数ながら存在したので、その先生方はまだ国家公務員かもしれない。「同意しない場合は、昇進に不利になるとか研究費がうんたら」とかいろいろ説明されたように思う。そうそう、今でも国立大学の先生が退職時に「退官記念うんたらかんたら」なんて行事を開催されたりするが、退官は10年前に済んでいるはず・・・あ、そうか、同意してなかったのかぁ~。

   この時代、数少ない「何の資格もなく筆記試験を合格することがなくてもなれる国家公務員」の一つが国立大学の先生であった。「えっ、そんな馬鹿な!!」って、いやマジで。私の同級生は「学部卒」で大学院に行きもせず「文部教官助手」になった。どうやって採用されたかは知らないが、多分欠員が出たところの先生に「気に入られた」のであろう。実は昔は「縁故っぽい」採用というのが結構あった。教員の採用なんてたいていは「研究室の欠員」であるので、その研究室の教授の意見が最も強い。自分が使えると思う助手(今は「助教」が一般的)を採用したいのもわかる気がする。

40過ぎても、50歳になっても、最初に採用された肩書のまま

   つまり、かつては、偉い先生のご意向で助手となり、次期に助教授(いまは准教授)、で、最後には教授というコースがあり得た。

   「え~っ、すっげー羨ましい」と思うかもしれないが、「気に入られる」には何か光る物があったんでしょう、文部省からも採用が認められたわけだし。

   でも良い事ばかりとは限らない。出世コースに乗り遅れる先生も、たまにおられた。30半ば過ぎても、40過ぎても、50歳になっても、最初に採用された肩書のまま。隣の研究室では、学生実験(助手の仕事)で教えた学生が自分と同じ助手として採用され、助教授になり、教授になり・・・とっくに自分より高給取りなんてことがわりとあった。まあ、大学ってとこもドロドロした人間関係があるわけよ、一般の会社と同じ、白い巨棟の世界ね。

   え~っと、ところで今回は何の話だったっけ・・・そうそう、「大学の先生になる方法」・・・にはたどり着かなかったので、また次回に「つづく」という事で。(プロフェッサーXYZ)