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「ブラック隠し」求人票を排除せよ その前提「ブラック判定」はこうすべし

   年末年始に一部ネット界で話題になった「ぼったくり居酒屋」閉店騒動などのニュースを見るにつけ、つくづく「悪事が筒抜けになる時代」になったと感じる。

   今後、従業員に報いることなく、私利私欲優先で違法放置のブラック企業はもはや生き残れなくなることは間違いない。一方で、誠実なビジネスを全うしていれば応援される時代になる、ともいえる。これから複数回にわたって、年末年始に話題になった「ハローワークでブラック企業の求人お断り」「同一労働・同一賃金」といったテーマに交えて、ブラック企業について議論をしていきたい。

現状では「求人票に書かれている内容」のみが問題に

まだまだ仕事が終わりません・・・
まだまだ仕事が終わりません・・・

   現時点ではあくまで検討段階であるが、厚労省において

「新卒者を募集する企業が、法律違反を繰り返すブラック企業と判明した場合、ハローワークでは求人を受け付けない制度」

をつくる方向で検討に入ったというもの。共同通信などが報じている。

   現行法では、ハローワークでは求人の申込に対して、「求人内容に違法性がない限り、すべて受理しなければならない」という決まりがある。違法性を問われるのはあくまで「求人票に書かれている内容」のみであるため、その企業が入社後に求人票に書かれていることを無視して、過酷な労働条件を強いたり、残業代の不払いなどを繰り返したりする「ブラック企業」であっても、募集はできてしまうわけだ。

   新たな制度では、入口段階でブラック企業へは入社させないようにする仕組みであるから、充分評価できるものだ。新卒に限らず、中途含めすべての採用において実施して頂きたいし、今までそうでなかったことがそもそもおかしいといえるくらいである。

何を持ってブラックとするのか

   山本一郎氏は「巷の"ハローワークでブラック企業の「求人お断り」検討"に思う」(2015年1月6日)という記事で、

「何を持ってブラックとするのか」はちゃんと法的か慣例的かは別として作ってあげるのが良いと思います。

と述べていた。私も同感である。

   しかし「ブラック企業の定義」をめぐっては、常に議論が錯綜するものだ。ブラック企業を論じている識者それぞれが、独自の定義を基に自論を展開しているため、前提条件から共有できていないことも多い。

   ブラック企業=「劣悪な労働環境」「従業員使い捨て」といった労働者側の視点による現象面のみがクローズアップされ、感情的で、単に「ブラックとされている有名企業を叩く」だけで終始してしまっている。

   現在の労働現場において起こっていることの背景や要因の分析が浅いままで、表層的な批判が広がりすぎるのは、大多数の人にとって得にならない。単に「ブラック企業アレルギー」ともいえる過敏な労働者を増やし、ブラックと目される企業は生き長らえるだけで、全体として問題解決につながらないからだ。

   結論から言うと、ブラック企業問題は「悪意ある個別企業」だけで終始するものではなく、「ブラック企業しか行きどころのない人」、「厳しい消費者目線」、「特定企業を『ブラックだ!』と騒ぎ立てる大衆」、そして「労働法制」・「労働行政」・「雇用慣行」がセットになって成り立っている。

   海外にも似たような表現として「sweatshop」「血汗工蔽」といった言葉があるが、それらはあくまで劣悪な労働環境下に置かれているブルーカラーを表現したものであり、ホワイトカラーに当てはまる言葉を有しているのは日本独自の現象なのだ。

違法なのか、そうではないのか

   それぞれは追って検証していくとして、まずは本稿のテーマである「何をもってブラック企業とするか」について述べていきたい。

   自らブラック企業に身を置き、多数のブラック企業を目の当たりにしてきたブラック企業専門家としては、ブラック企業をこのように定義している。

「明らかに違法な労働/取引条件を、違法であることを認識していながら、改善する意思なく、従業員や取引先に強いる会社」

   この「違法状態を故意に放置」というところが要点である。下図をご覧頂きたい。

   これらはいずれも、その会社が「ブラックと認識される要素」である。自社の内情に不満を持つ人が、「ウチは○○だからブラック企業だ!」と叫ぶときの、「○○」に入るキーワードとお考え頂ければいいだろう。

   そして、ここがまさに議論が食い違うポイントでもある。

   たとえば、ある人が「サービス残業を強要されてブラックだ!」と言い、ある人は「給料が全然上がらなくてブラックだ!」と訴える。どちらも大変な状況に変わりはないが、この2つを一緒に論じることに違和感を抱く人もいるはずだ。そして、その感触は正しい。

   なぜなら、前者(サービス残業)は、労働基準法第37条で定められた「時間外労働分の割増賃金を支払う」ところに違反しており、明らかに「違法」である。しかし後者(給料が上がらない)は、「その会社にはそもそも定期昇給制度がなかった」というハナシであれば、それ自体は特段法律には反していない。すなわち「合法」だ。

   先の図の真ん中に流れる「黒い川」のようなものが、「違法」と「合法」を隔てる線である。

   「違法」は明らかにNGで、絶対にやってはいけないこと。「合法」については、「だからすべてやっていい」わけではないものの、その会社が独自に設定した基準に即して運用されているものであり、労働者との間で合意できているのであれば問題はない。

   多くの場合、このような違いを無視して「違法なものも、合法なものも、全部一緒くたにして『ブラックだ!』という」から訳がわからなくなるのだ。

「ブラック企業」という言葉自体が、問題を曖昧にしている

   「ブラック企業」というキーワードは実に便利だ。違法企業も、厳密には違法ではない企業も、全部怪しげな印象としてひとまとめにしてブラックという。話題になりやすく広がりやすいし、「違法企業だ!」と糾弾しているわけでもないので、訴えられるリスクもない。

   毎回のように主張していることだが、「ブラック企業」という曖昧な言葉の存在が、この問題の解決を遅らせている。ここはまず、違法状態の企業は明確に「違法企業」として切り出して、労基署は積極的に改善指導を行って頂きたい。

   そして、指導しても反省の色が見えない「確信的再犯ブラック企業」に対しては、それこそハローワークでの求人拒否はもちろん、ブラックリストに名前を挙げて全国から閲覧可能にするほか、送検や逮捕、起訴に至るまで厳罰化するなり、懲罰的損害賠償金を課するなりの対応をしてもらいたいものである。従業員がいなくなり、客がつかなくなればブラック企業も自然に干上がっていく。段階的にでも、そのような状態になっていくことを期待したい。


<補足>労基署がブラック企業に対して行う「是正勧告」は強制力のない「行政指導」であり、公権力の発動として業務停止命令や許可取消処分などが行われる「行政処分」ではない。したがって、勧告に従わなかったことで会社に何ら不利益はないところが、ブラック企業を跋扈されている一因とも考えられる。

   また、東京労働局における2013年度の総合労働相談件数は「11万4797件」であったが、そのうち労基法違反など、司法事件として送検まで至った件数はわずか「58件」であった。

   その点、更なる厳罰化も期待したいところである。

   なお、懲罰的損害賠償制度は英米各国には存在するが、日本にはない。1997年には、同制度に関するアメリカの州裁判所判決の日本での執行を求める裁判で、最高裁は「我が国における不法行為に基づく損害賠償制度の基本原則ないし基本理念と相いれないものであると認められる」などとして、「その効力を有しない」との判断を示している。

   次回はこのような、「目の前の問題を法的に何とかしたいが、現状に対して法律が追い付いていっていない問題」や、「違法状態が、法的手続きによってなぜか合法になってしまっている問題」を扱い、今後の方針を考えていきたい。(新田龍)