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もう「解雇規制緩和」の議論はやめよう 総合的な変化踏まえ「再定義」を

   ここ数年来、アベノミクスの影響などもあり、株高、雇用増といった効果が喧伝されてきた。しかし、細かくデータをみると、表面的にはわからない実態が明らかになってくる。2014年末にNHK社会部が報道発表した、5000万件にものぼるデータ統計から導き出されたのは・・・

・2011年度から13年度にかけて、全国すべての都道府県で求人数は増加
・ただ求人の多くは非正規雇用で、離職率が高い仕事の割合が多い
・実質賃金は、2014年11月まで17か月連続で前年同月を下回っている

という事実である。すなわち、景気や雇用が回復したように見えても、正社員の雇用はそれほど増えておらず、実質賃金も上がっていないのだ。その理由として考えられることは多々あるが、私はその中でも「解雇規制」の存在が大きく影響を及ぼしていると認識している。

そもそも「解雇規制」とは?

雇用の再定義とは?
雇用の再定義とは?

   日本では、「正社員の解雇は規制が難しい」と言われる。しかし民法では、「(期間を定めなかった時は)当事者のどちらからでも一方的に解除を申し入れることができる(民法627条)」、つまり、退職も解雇も自由となっていて、矛盾しているようだ。これは一体どういうことなのだろうか。

   話は戦前の工場労働にさかのぼる。当時は労働基準法もなく、工場労働者は劣悪な環境で働かされる、すなわち「経営側から搾取される」ことが多かった。

   民法の契約はあくまで「当事者の立場が対等」であることが前提になっているのだが、「労働者」と「経営者」では対等ではない。そんな民法では労働者の保護が不十分だということで、1947年(昭和22年)に「労働基準法」ができ、解雇する場合の最低基準が定められた。「30日以上前に予告する、または同日数分以上の平均賃金を払う」という条項だ。

   当時は「30日分の平均賃金を払えば、特に理由がなくても自由に解雇できる」という認識が一般的だったが、1950年代に多くの労働争議が起こり、解雇にまつわる裁判の判例が積み重なっていった。それによって段階的に労働者に対する法的保護がなされていき、解雇権を濫用できない方向性となっていったのである。それら判例に基づいた原則は現在の「労働契約法」に条文化されている。

   現在の日本において正社員の整理解雇を行おうとすると、皆さんご存知のとおり「4要件」が必要とされる。すなわち「人員整理の必要性」「解雇回避努力義務の履行」「被解雇者選定の合理性」「手続の妥当性」というもので、解雇はこの要件にすべて適合しないと無効とされる。これにより、日本の正社員の解雇は厳しいと認識されているのだ。

   (ただし近年の裁判では、4要件を厳格に運用するのではなく、「総合的に考慮した結果、相当と認められれば解雇を有効とする」、すなわち「要件」ではなく「要素」として捉える判例も増えている)。

解雇規制緩和「推進派」の意見

   解雇規制緩和派のおもな主張は次のとおりである。

・日本の正社員は強く保護されて容易に解雇ができない、非常に恵まれた存在である
・企業は、人員需要の増減に迅速に対応し、解雇リスクを回避するために非正規の雇用を増やしてきた
・また、解雇しにくいがゆえに企業は正社員の採用に慎重になり、採用基準も厳しくなる ・非正規社員は整理解雇時には真っ先に解雇される不安定な立場に置かれ、安定した正社員との対比で「雇用の二極化」ともいうべき格差が生まれている
・非正規社員の割合が増加しつづけていることで、低所得者層が増え、社会の不安定化と閉塞感の原因となっている
・正社員の解雇規制を緩和し、双方の雇用保障の差を小さくすることで格差を縮小して、社会を安定化させていくべきである

   確かに、労働者目線で考えれば雇用が手厚く保護されていることは有難いが、経営者側からみれば、採用した社員が仮に「使えないヤツ」だったとしても、それだけを理由に解雇はできないということにもなる。結果的に正社員採用に慎重になってしまっては、本末転倒なところかもしれない。

解雇規制緩和「反対派」の意見

   一方、解雇規制緩和「反対派」の意見は、

・世界各国と比較したとき、日本の解雇規制はむしろ弱い方であり、もっと労働者を保護すべき
・解雇規制が緩和されると、会社は社員を解雇しやすくなり、失業者が増える
・立場の弱い人たちが企業の都合でリストラされやすくなる
・正社員を解雇したとしても、それによって非正規社員の待遇が改善するわけでもない
・解雇を恐れる正社員は会社の言いなりになって過重労働になり、誰も得をしない
・解雇規制は大企業には通用するが、中小零細企業では形骸化しており、実質的な不当解雇が横行している

   こちらの意見も確かに一理ある。今は規制があることで不当解雇の抑止力になっているところが、規制緩和によって単に「気に入らない」「ムカつく」といった理由だけで解雇になってしまったら大変だ。

   そして、最後の点もその通りである。名の知れた大企業の場合は世間の目も厳しく、おいそれと違法行為はできないものだが、中小零細企業は事情が違う。経営不振となっても、従業員を異動もしくは転籍させられる子会社も部署もなく、いきなりの解雇に踏み込まざるをえないケースもあるだろう。しかも解雇された社員にとって、それを不服として裁判所に持ち込むだけの金銭的・時間的余裕もなく、表に出ないまま泣き寝入りを強いられているというのが現実なのだ。当然、それらがニュースになることもほとんどない。

「明確なルール作りと法整備をおこなうべき」という点では意見が一致

   こうしてみると、解雇規制緩和「推進派」と「反対派」では意見が真っ向から対立してしまっているように見えるが、解決の糸口はある。双方ともアプローチの違いはあるものの、最終的には「労働者が安心して働ける、明確なルール作りと法整備をおこなうべき」という点では意見が一致しているからだ。

   「解雇規制緩和」という軸で論じてしまうから、議論が錯綜してしまうのだ。今や、日本における組織の人的マネジメントのありかたや、人の働き方といった枠組みや仕組みが一体となって変わらなければならない時である。その点、「規制緩和」というより「再定義」というべきであろう。

   歴史を振り返ると、高度成長期までの日本では「企業が雇用を丸抱えし、労働組合が経営を監視する」「企業が負担していた雇用と保障については行政が支援する」という役割分担が機能していた。

   しかし現在、経営環境が厳しくなって、企業側における福利厚生や雇用も厳しくなっており、ドライな世界に突入しているとも言える。

   そして、行政・司法が整理解雇を厳しく判断する理由は、「昇進・昇給」や「退職金」といった日本的雇用慣行の中で、将来への期待を持たせる形で採用して働かせていたのに、その期待を裏切ることになるという、マネジメントとの関係があるからだ。

   すなわち、解雇ルールは働き方とともに、マネジメントの仕組みの変革とも同一に変容していくべきであり、解雇の判断だけが変わるということはないであろう。

   以下、「反対派」の意見に反論するような形になるが、私の考えを述べていきたい。


・「解雇がしやすくなると失業率が上がる」について

→海外事例との比較もなされるが、こればかりは元々の失業率の絶対値が異なるうえ、失業率が改善したとしても悪化したとしても、それが解雇規制にまつわるものかどうかは判断できないというのが正直なところだ。個々の規制よりも、景気動向や金利、為替相場といった条件のほうがより大きな要因と考えてよかろう。


・「海外各国と比較したときの、日本の解雇規制の緩さ-厳しさ」について

→識者によってこの話題が語られるとき、基となる資料は主に経済協力開発機構(OECD)の「雇用保護指標」(Employment Protection Indicators)であるが、本指標の評価項目は各国のすべての規制を網羅できているわけではなく、同一の規制が国によって異なる評価項目で評価されているなど、根拠として曖昧な要素がある。この資料をもって、各国間の規制の強弱を評価することは難しいのが現状である(OECDも、個別項目を数値的に比較したりはしていない)。


・「会社都合で解雇されやすくなる」について

→普通に考えて、組織に貢献できていない者が解雇されやすく、逆に価値を発揮している者であれば、待遇を厚くしてでも自社に留めておきたいと思うものではないだろうか。組織に貢献できる自信がない人が、恐れて叫んでいるようにも感じられる。


・「解雇を恐れて過重労働」について

→これはむしろ逆だろう。「悪意があるブラックな会社を辞めやすくなる」ということだ。

   企業がブラック化してしまう原因の一つに、「正社員の採用基準が厳しいから、再就職は難しそう」→「ブラック企業でも辞められない」→「結局、今の会社にしがみつくしかない」→「そんな社員の存在によって、ブラック企業が生きながらえてしまう」という構図があるからだ。

   解雇がしやすくなれば、その分正社員採用の基準も今までよりは下がり、採用されやすくなる。そうすれば、「イヤイヤながら今の会社に残る」社員はいなくなり、ブラック企業の息の根は止まるわけだ。

   これは「ブラック企業発生の抑止力」にもなり得る、画期的な方策といえるのではなかろうか。

解決策のひとつは、「正社員、非正規社員という区別をなくす」

   では、どんなルール作りと法整備が考えられるか?

   解決策のひとつは、「正社員、非正規社員という区別をなくす」ことだ。

   働く人は、全員が「有期雇用の契約社員」。契約期間は2年くらいとして、基本的には雇用継続するのだが、能力や成果の期待に沿えなかった場合は自由に契約を解除することができるようにする。能力のある人はもちろん解雇の心配はなく、成果が出せない人や努力しない人が淘汰されていく仕組みだ。

   もちろん、雇用継続の条件は企業によって自由に設定できるから、「ウチは短期の成果は求めない。長期的に評価するよ」という企業があれば、短期的な評価では成果を出せないが、長期的に努力できる人が報われる、といった形で相互補完できることだろう。

   一方で受け入れる企業側も、「契約期間が短いから能力不足」といった判断をするのではなく、相性や社風が合わないといったこともあるので、期間だけで判断しないようにするという社会的合意が必要だ。また賃金は、働く人に合わせて柔軟に対応できるようにしておくのがよい。

   二つ目は、「解雇の金銭補償制度」を設けること。現在の日本では法律で認められておらず、厚生労働省側も当面は認めない姿勢だが、一つ目よりは実現可能性が高い。

   これは文字通り、従業員に金銭を支払うことを条件に解雇する、という契約である。法律でがちがちに縛られるよりも、労働社会の実態をふまえれば、こちらのほうが現実的だ。

   例えば解雇が裁判となり、判決で「解雇無効」となったとしよう。その場合は「会社に戻って仕事を続ける」ということになるのだが、それも気まずいだろうし、お互い信頼関係も残っていないはずだ。そこで金銭補償の基準が設定されていれば、納得ある解決ができる可能性もあろう。

   同基準が明確になることは、大企業の社員のみならず、不当な解雇リスクにさらされている中小零細企業の社員にとってもサポートになり得る。

   雇用が流動化し、成熟産業から成長産業へ労働力が柔軟にシフトできれば、経済成長も加速することが期待できる。また、個々人が自身のライフスタイルに合った働き方ができる社会が実現するのであれば、誰も文句はないはずだ。

   しかし、個別具体的な法律改正をみていくと、誰かが改革の痛みを負担することになる。改革には誰もが賛成だが、その痛みを被るのが自分というのはイヤ、という構図なのだ。その点推進派も反対派も、お互い現実的な状況改善に向けた議論を進めていきたいものである。

   これだけ多様な人が働いている中では、雇用のありかたについても様々な意見が出てくることは当然である。今後は雇用条件、解雇要件の明確化を進め、労使ともに納得いく形を創り上げていくことが求められる。(新田龍)