J-CAST ニュース ビジネス & メディアウォッチ
閉じる

寿司は「物語」を食べている? ホリエモン論争とマーケティングの手法

   人は物語を喰って生きている――

   堀江貴文氏が、「寿司職人が何年も修行するのはバカ」といった趣旨の発言をして炎上していますが、私は、これは一面正しいことで、一面的外れであると考えています。

   この発言に賛成している人は「美味しい食事」としての『スシ』を期待しており、反対している人は「職人が作り上げた高貴なモノ」としての『寿司』を期待しているのです。

   つまり、期待しているモノがまったく違う。だから、意見が真っ二つに分かれるのです。

寿司とスシ

食べたいのは・・・
食べたいのは・・・

   「美味しい食事」としてのスシに関しては、非常にシンプルです。

   新鮮なネタを適切に加工して、適量に配合されたほどよい大きさの酢飯に乗せて、高品質の醤油につけて提供すればOKです。

   この「新鮮」とか「適切」とか「適量」とか「ほどよい」とか「高品質」とかいったものは、長年の研究から数値的に定義することが可能であり、マニュアル化することができます。

   そのマニュアル化した行程は、数か月でマスターできる類いのモノであり、寿司アカデミーで充分習得できます。

   これに対し、「職人が作り上げた高貴なモノ」としての『寿司』は、ちと複雑です。

   彼らが食べているのは食べ物としての『スシ』だけではなく、そのスシに乗っかっているストーリーです。

   有名寿司職人に弟子入りし、何年も何年も下積みの修行を重ね、テーブルの拭き方から、皿の洗い方、包丁の研ぎ方だけを何年も学び、やっと包丁を握らせてもらい、(中略)10年目にしてやっとここに立つことができたんですよ・・・というストーリー。そんな大変な道のりを経て作られた『寿司』だからこそ、何万円も払って食べるのです。

   実際に出てくる食べ物としての『スシ』は、それほど大きな違いはありません(と、いうことを書くと『寿司』愛好家は烈火のごとく怒りますが・・・私はブラインドテストで試したことがあります)。

   でも、ストーリーが乗っかると美味しく感じるようになることは事実ですので、『寿司』を愛好することを否定するような無粋なことはしません。ストーリーを買ってくれる人の需要がある限り、寿司の修行は無駄ではないと思います。

   そして、海外で寿司職人をやるのであれば、効率がいいのは『スシ』を売ることです。なぜなら、海外で『寿司』を求める人は非常に少ないからです(ただし、非常に少ないながらも『寿司』を求める人は超絶裕福層が多いので、顧客が掴めれば大きな収益を得られる可能性もあります)。

「チリソースはないのか」と聞かれる

   海外で『スシ』職人をやっている人の話を聞くと、

「寿司屋だけど、売上の50%がテリヤキ丼。25%がカルフォルニアロール」
「いいネタを使っても、醤油びたびたにされるどころか、チリソースはないのかと聞かれる」

など、『寿司』職人が聞いたら卒倒するようなことが日常茶飯事です。だから、海外に『寿司』職人がくると、思い悩んでしまいます。

   ここで、ひたすらこだわり『寿司』文化をその土地に広めるか、現地の人が喜ぶ『スシ』を開発するかに分かれてくるのですが、私が聞く限り、後者の方が成功する確率は高いです。

   自分がいいと思うモノを作る「プロダクトアウト」か、お客さんがいいと思うモノを作る「マーケットイン」かの違い。どちらが良いとか悪いとかではありません。

   実際、日本にある中華料理も、イタリアンも、フレンチも、現地のモノとはまるで違うものです。スパゲティ・ナポリタンなんて、パスタ文化のない昭和の日本人に対し、必死にどうやって加工すれば食べてくれるかを考えた末にできた、創造の産物であると考えると、その涙ぐましい努力に涙がでてきます(カレーを食べないカンボジア人にカレーを提供していると、よく分かります)。

   ストーリーを乗せた『寿司』も、お客さんが喜ぶ味を提供する『スシ』もどちらも価値があるモノです。お互い否定することなく、共存していくのがいいと思います。

   また、自分で何かを売るのであれば、売るモノの配合を『寿司』的なもの何割、『スシ』的なもの何割くらいにするかを考えると、マーケティングの手法が見えてきますので、一度考えてみることをおすすめします。(森山たつを)