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「なでしこ」敗退と「転職の失敗」の関係 彼女・彼らに何が欠けていたのか
【社長のお悩み相談室】

   女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」がオリンピックアジア代表最終予選で、出場6チーム中上位2位までに入れず、オリンピック出場権を逃しました。

   「なでしこジャパン」といえば、2011年のワールドカップで悲願の初優勝を果たして世界の頂点を極めた実績をはじめ、12年のロンドン・オリンピック、昨15年のワールドカップでは連続で銀メダルを獲得してきた、アジアでは敵なしの存在だったはずです。それが今回は、初戦からの3試合が2敗1引き分けという信じられない状況での予選敗退決定。

隆盛を極めた企業が一転奈落の底へ

かつて輝かしい業績を残した企業にもたそがれが
かつて輝かしい業績を残した企業にもたそがれが

   サッカーの専門的なことは存じ上げませんが、今回の敗退は11年のワールドカップでMVPに輝き、昨年まで代表チームの精神的支柱として存在感を保ってきた澤穂希選手の引退が大きく影響したのではないかという、複数の評論家や報道機関の指摘が気になりました。確かに初戦敗戦の後、チームの立て直しがきかずに、これまでの実績から考えれば当然勝てるであろう相手から勝ち星を奪うことができなかった裏には、危機に直面して「気持ち」の面での支えを失い、個々がバラバラになりチームが迷走した状況がうかがわれます。

   ある報道によれば、輝かしい実績に導いたのは、当時のキャプテン澤選手の「苦しい時は、自分の背中についてこい」という姿勢だったと言います。さらに報道では、今回キャプテンを務めた宮間あや選手には、自分にも他人にも人一倍の厳しさをもってチームを引っ張ったものの、精神的支柱になりうる何かが欠けていた、といった趣旨の指摘も。一連の報道に、隆盛を極めた企業が一転奈落の底へ、そんな企業経営にも相通じるものを感じました。

   00年代半ばのことです。世間がようやく金融危機を脱し、業種によっては業績に上向き傾向が出始めた頃。不動産業界には、明らかにミニバブル期が到来していました。旧知の仲で不動産会社C社勤務のMさん。業界がミニバブルに踊る中、都心のオフィスビル一棟売買などで実績を上げ、年収が一気に跳ね上がったと喜んでいました。

日の出の勢いでメディアにも華々しく登場していたが...

「がんばった分がすべて給与に反映されるので、本当にヤル気が出ます。社長は私よりも若いのですがヤリ手で、利益の社員還元を基本に据えた素晴らしい会社ですよ。この会社でがんばって、さらに上のステージを目指します」

   Mさんは、元々が大手証券会社勤務からの転職組でした。前の職場も実力主義の導入はあったものの、所詮は日本の金融機関。日本の大企業的な年功制的な考え方もまだまだ色濃く残されていました。加えて金融不況を経たあおりを受けて、実績と給与がストレートにリンクしない状況にイライラを募らせ、新興の不動産ファイナンス会社であるC社からのヘッドハントに乗ったのでした。

   一方、C社は40代前半の社長の下、00年以降日の出の勢いでメディアにも華々しく登場して知名度を上げ、大型案件に次々絡んで急成長していました。社員は担当した成約案件の手数料の一部を報酬として受け取るという給与体系により、若くして年収数千万円プレーヤーもざらにいるなどとの報道から、人気の転職先としても脚光を浴びていたのです。

   しかし、ミニバブルは長くは続きませんでした。C社の業績は急激に下降局面に入り、ミニバブル期に中途採用で入社した優秀な社員たちは、次々と去っていったといいます。人材面の弱体化は業績悪化に拍車をかけ、さらにとどめを刺したのが、08年のリーマンショックでした。結局、不良在庫と借り入れの金利負担に耐え切れず、あえなく倒産。最後まで会社に残っていたMさんは、路頭に迷うことになりました。

   「C社は、おカネが社員を引き留めていただけでした。高額な報酬をチラつかせて優秀な社員を集めたものの、業績が悪化すると蜘蛛の子を散らしたように、皆いなくなってしまった。社長の経営姿勢に、社員の精神的支柱となるべきビジョンがなかったからだと思います。思い返せば、社内は個々人がバラバラだったのです。私は学生時代にアメフトをやっていたのでよく分かります。好調期は何をやってもうまくいく、でも窮地に陥った時、チームには『よし、ここで踏ん張ってやるぞ』という精神的な支柱が必要になります。個々がバラバラでは窮地では前に進めません。C社はまさしくそんな状況でした」

経営者のビジョンの有無

   一般に、業績上昇局面には報酬が社員を引き留め、業績下降局面では経営者のビジョンが社員を引き留める、と言われています。

「おカネ優先で転職先を選んだ私がバカでした。特に新興企業は、経営者のビジョンの有無で自分の勤務先とすべきか否か慎重に選ぶべきだったと反省しています」

   40代後半と、同社では年齢的に高かったMさんは、転職先を見つけられぬまま会社と共に運命を共にせざるを得ず、その後も職に恵まれぬまま、いまだにアルバイト生活を余儀なくされています。「なでしこジャパン」の予選敗退に、そんなMさんの話を思い出しました。Mさんは、今回の「なでしこジャパン」の予選敗退をどんな思いで見たのでしょうか。(大関暁夫)