J-CAST ニュース ビジネス & メディアウォッチ
閉じる

「計算お手上げ」国民だらけ カンボジアで「箱もの」より切実なもの

   カンボジア人のスタッフを雇っていると、その計算力の低さに唖然とすることがあります。

   この国では、アメリカドルとカンボジアリエルの2つの通貨が使われており、通常1ドル=4000リエルで取引されています。当地の人間は、このドル‐リエルの交換計算は凄まじいスピードでやっているので、全く計算ができないわけではないと思うのですが、3ドルの物を3個買ったら9ドル払うとか、1キロ2ドルの野菜を0.5キロ買うと1ドルになるくらいのレベルから、だんだんあやしくなってきます。そして「10ドルのものを40%オフにすると6ドル」レベルになると絶望的です。

学校の数は増えているものの

国の未来は子供たちが担う
国の未来は子供たちが担う

   先日、カンボジアで教育関係の仕事をしている人と話をする機会があったので、このことを聞いてみました。

「カンボジアの学校でも、算数は教えているので、計算を全く知らないわけではないんです。でも、教師が教えたことを定着させていないので、全く身につかないのです」

   みんなが学校を寄付したがるのでお馴染みの教育後進国カンボジアですが、学校の数はそれなりに増えており、今では80%くらいの子どもたちが小学校に入学しているといわれています。しかし、子どもも労働力としてあてにされている事情もあり、小学校を卒業できるのは60%程度といわれ、きちんと教育を受けている人の数は充分とはいえません。

   そんな中でも、中学、高校、大学と進学していく人はいます。進学時には試験もあります。それなのになぜ、算数ができないのか。答えは「全てカンニングで済ませている」からです。

   たとえば、学校で2桁の足し算の仕組みを習い、筆算とはどういうものかを教わっても、自分で2桁の足し算ができるようになるためには、何度も計算問題を解いて、自分のスキルとして使えるようになるまで練習する必要があります。繰り返しの計算ドリルですね。

   しかし、カンボジアの学校ではこの繰り返しの練習がないので、習ったことがちっとも身につかず、基礎ができていない状態で次に進んでしまうのでまた理解ができず......ということが繰り返され、学生のほとんどがおちこぼれ状態になってしまうのです。

政府が厳しく取り締まると

   おちこぼれている状態で進学していくわけですから、当然、受験などで問題になるはずなのですが、そこに大きな闇があります。

   カンボジアの大学入試は、BACII試験という全国統一試験によって大勢が決まります。各大学の入学試験よりも、この高校卒業試験の結果が重視されます。奨学金の額もこの試験で決まります。しかし、これがカンニングの巣窟なのです。

   それも、隣の人の解答を盗み見するとか、参考書を持ち込んでチラ見するとかのレベルではありません。スマホを使ってfacebookで外の人に解答を聞いたり、イヤフォンを使って答えを聞いたりといった堂々たるカンニング。しかも、試験官に30ドルくらい払うと、見て見ぬふりをして見逃してくれるといいます。給料が安く生活に困った教師が、この試験の問題と解答を生徒に売り、みんながコピー屋でコピーするなどといったことも季節の風物詩でした。

   しかし、2014年、世界は変わります。

   政府が400万ドルを投じ、治安維持部隊までも投入し、このBACII試験でしっかりとカンニングを取り締まったところ、75%の学生が落第。高校卒業ができなくなりました。ちなみに、前年の落第率は13%。一体どれだけカンニングしていたんだと。

   仕方がないので、試験のレベルを思いっきり落として試験を行ったところ、合格率は40.6%に上がったそうです。

「なんで、身の丈に合った試験にしないんでしょうね?」
「カンボジア政府の、海外の教育機関に対する見栄だと思います」

   国の発展に国民の教育が必須だということを、途上国にいて強く感じます。カンボジアの場合、教育をする器としての学校が足りないという問題に加えて、教師が教授法や評価法についてきちんと学んでいないという問題があります。さらに、先生の給料が安く、つい問題用紙を売ってしまうというモラルの低さも問題です。加えて、東南アジアお決まりのいい加減かつ無責任な、その場さえよければ万事オッケー主義によってとどめを刺され、問題は永遠に先送りされます。

   ただし、カンボジアでは、カンニングの摘発が行われたというだけ、前進はしています。教えっぱなしではなく、それを定着させ、定着したことを確認するところまでできるようになると、この国も、より発展するのではないかと思います。学校という箱をつくるだけではなく、教授法やモラルの大切さまできちんと伝えられたらと思うのですが、それにはまだ長い時間がかかりそうです。(森山たつを)