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ハンコ押しといて「知りません」 組織のラストマン精神、何処へ

   日立グループをV字回復に導いた川村隆・日立製作所元会長の著書『ザ・ラストマン』(角川書店)を遅ればせながら読んだ。

  • 組織に無責任の連鎖が
    組織に無責任の連鎖が
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不祥事トップはその対極に

   ラストマンという言葉は、川村氏が30代のころに配属されていた工場の工場長による造語とのことである。その工場長は、部下が昇進すると「これからは、お前がこの課のラストマンなんだぞ。(中略)部下に仕事をやってもらうのだとしても、最終責任はお前が取れよ。最終的な意思決定はお前がやるんだぞ」(『ザ・ラストマン』14、15ページ)などと声を掛けて激励したそうだ。川村氏はそれ以来、常にラストマンであろうと努め、危機に直面していた日立グループのトップも引き受けた。

   読み終わって、最近発覚した大きな不祥事を引き起こした組織トップの言動は、すべてラストマン・スピリットの対極にあると痛感した。

   例えば、トップの急な交代によって明るみに出た東京都の「盛り土」問題をめぐっては、都民を欺くような意思決定が水面下でなされたことが明らかになりつつある。歴代の市場長は「知らなかった」「驚愕した」などの無責任な言動を繰り返し、当時の知事に至っては「知事っていうのは言われれば誰でもハンコを押す」とまで言う始末だ。悲しい限りである。

   川村氏は著書の中で「昨今、日本では企業が不祥事を起こすたびに、トップが集まって謝罪会見を開きます。(中略)もちろん謝罪することは大切ですが、それと『責任を取る』ということとは大きく違います。にもかかわらず、会見には『謝罪をすればこの問題は終わり』とでもいうような空気も感じられます。」と指摘している(同書15ページ)。どんなに深く頭を下げようが、謝罪文をマスコミに公表しようが、トップとして押したハンコに込められた責任は消えないのである。

枠が増えるほど無責任の連鎖に

   ハンコといえば、筆者が新卒として入った銀行業界は、ハンコ社会の最たるものだろう。伝票、稟議書、契約書、受取証などあらゆる書類に押印欄があり、最低でも「作成者」「承認者」の2人、重要な稟議書になれば、支店⇒本部⇒役員と10人以上のハンコが見事に並ぶことになる。

   そのハンコの「重み」について、新入行員の研修でベテラン行員から次のように叩き込まれたのを、30年近く経った今でも鮮明に覚えている。

「これから君たちは、何度となく印鑑を押すだろう。最初は小さな担当者印だが、管理職になると一回り大きな検印になる。当然責任も一回りも二回りも重くなる」
「印鑑を押す時には、心して押すように。脅かすようだが、君たちが印鑑を押した書類について何か問題が起きたら、何年経っていようが必ず追いかけられて責任が問われるぞ」

   ハンコを押す枠が増えれば増えるほど、無責任の連鎖が広がりやすくなるという。承認印を押す際に、部下に対して「ホントに大丈夫だろうな。何かあったら君の責任だぞ」などと口走る上司は論外だが、「誰かがちゃんとチェックするだろう」「みんなで渡れば......」と内心思ってしまうのが人情ではないだろうか。

   しかし、ハンコを押した以上は「知りませんでした」は全く言い訳にならない。特に、意思決定権限と責任をもつ者は、重要事項を知らなかったこと自体が職務怠慢であり、懲戒処分または法的処罰の対象となるということを肝に銘じなければならない。そのために担当者よりも高い報酬をもらっているのだ。

   もちろん、ラストマンとして気概は、担当者にも必要だ。自分の作った文書、自分がチェックした文書にハンコを押して上に回す時、自分の真価が問われる瞬間となる。

   「盛り土」問題については、築地から豊洲への移転が長引くことにより生じる損失や不便も無視できないが、小池知事には都議会も含めて組織の膿(うみ)を徹底的に出し切ってもらいたい。原因を徹底的に究明し、不正行為の責任者を厳正に処分しなければ、不祥事は必ず再発する。(甘粕潔)