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あの柳井社長だって悩んでる 後継者づくりの「3つのポイント」(大関暁夫)

   あけましておめでとうございます。2018年もよろしくお願いいたします。

   年初にあたり、カジュアル衣料の「ユニクロ」を運営するファーストリテーリングの柳井正会長兼社長が、事業承継の難しさについて興味深いお話を語っておられましたので、少しご紹介しておきたく思います。

  • 立派な後継者に引き継ぎたいけど……
    立派な後継者に引き継ぎたいけど……
  • 立派な後継者に引き継ぎたいけど……

事業を伸ばす才能と後継者を育てる才能は別物だ!

   ご承知のように柳井正氏は、父が興したローカルな洋品小売りの会社を一代で世界的な規模のアパレル製造・販売会社に押し上げた人物です。氏の著書のタイトルにあるように、「一勝九敗」という数え切れない失敗にもへこたれない姿勢が、氏の成功の陰にはあるのだと言います。

   その数ある失敗の中でも、後継者づくりに関しては、世間の注目を集めた分だけ大きな失敗として記憶されているところであります。2002年、当時常務だった玉塚元一氏(現ハーツユナイテッドグループ社長)に社長の座を譲り50代での第一線からの引退意向を表明したものの、3年弱で玉塚社長を解任し、再び自ら社長として経営トップの座に舞い戻ったのでした。

   一般に、よく言われることでもありますが、経営トップとして事業を企画し業績を伸ばし企業をリードしていく才能と、後継者を育て、その者に経営権を委譲していく才能はまったく別物である、は真理のようです。

   柳井氏の後継者問題に関してのその後の至って慎重な姿勢を見るに、ワンマン経営者の後継者づくりの難しさと失敗をした際の痛手の大きさを如実に物語っているように思います。

   これまで後継者問題に具体的な言動は避けてきた柳井氏が、新しい年を迎えるにあたって自分の後継者の条件として表明したその考えは、さすがに失敗経験も踏まえ時間をかけて練られたものであり、非常に示唆に富んでいます。

「部長はどこまでいっても部長」経営者ではない!

   柳井氏の話のポイントを整理すると、以下のとおりです。

・ 経営者は経営者としてしか育たない。部長はどこまでいっても部長。最高執行責任者(COO)としてなどの経営陣として実績を積み上げた者でなければ引き継げない。
・ 経営者は、フォロワーシップとリーダーシップを兼ね備えていなくてはならない。
・ 経営者は、自分で決断しリスクを冒せる人物でなければならない。

   後継者づくりにおける、この3つポイントは、現実に私の周囲でもなかなか後継者をつくれずにいつまでも社長のイスに座り続けている経営者に欠けているものであるように思えます。

   特に1番目は、御子息を後継者として考えている社長に非常にありがちな話です。

   「稼ぐことで経営の基本を学ぶために、営業部長として営業部門を担当しろ」とか、「会社経営の勉強になるから、総務部長として私をフォローしろ」とか、あくまで一部長として後継者を使うパターンです。

   銀行時代の取引先G社もそうでした。社長営業から卒業したいT社長は御子息を営業部長に任命し、社長が開拓してきた取引先を「代替わりに向けた布石」と称して引き継ぎしたのですが、結局、御子息は営業部長のまま世代交代はできずじまい。80歳を目前にしたT社長の口癖は、「息子に次期社長の自覚がなさすぎる」というものです。

   地位は立場がつくるということを、未だご理解いただけないようです。

先代の見よう見まねで引き継いだけど......

   2番目は、よくぞ言ってくれましたという感じです。

   オーナー社長にありがちなのは、リーダーシップには長けていながら、フォロワーシップが欠如している、そんなパターンです。柳井氏のような実質創業者も含めた創業社長はリーダーシップ中心のマネジメントでなんとかなるケースも多いのですが、後継者となるとそうもいかない。そんな点を的確に指摘した表現かと思います。

   後継者は、まずは一般社員として十分な社員目線をつけさせてから経営陣に引き上げる、そんなやり方が理想ということになるのでしょう。

   早世した父の跡を継いだ中堅建設業I社では、現場経験がほとんどない二代目が職人の世界を理解できずに、見よう見まねに父を引き継いだワンマン姿勢で社員から総スカンにあいました。先代の右腕であった常務が、その収拾に苦労して嘆いていた姿が忘れられません。

「実績が伴わない高圧的なリーダーシップでは、現場は着いてこられません。親族の後継であっても先代と人格は別ですから、たとえ同じことを息子が言っても、納得性に欠けてしまいます。私がそのフォロー役をしていますが、やはり限界があります」

   I社は相次ぐ人材流出で業績が低迷。大手資本の傘下に入ることになりました。

   3番目は、意外に知られていないことですが、同族の後継者に欠如している、ありがちな問題です。自身で起業したわけではないので事業投資という感覚が身についておらず、投資や借り入れリスクばかりが先立って見えてしまうケースです。

   結果的に、リスクを伴う投資には尻込みしてしまい、先代が築いた財産を徐々に食いつぶしていくケースです。

   住宅建材商社のO社のU社長は、前社長である兄を急病で亡くし、直後に会長である父を亡くして、会社経営のなんたるかも知らぬまま、予定外に社長のお鉢が回ってきました。

   事業投資もせず、既存の借り入れも保証人という肩書きが怖くてすべて返済し、内部留保を食いつぶしました。結局、かろうじて株主である親戚一同で資産の山分けができる段階で廃業に。かわいそうなのは、長年勤めた社員たちでした。

   柳井社長が「今年こそは」との思いからか明らかにした後継者づくり条件。実際どのような方が指名されるのか、興味の尽きないところではあります。同時に、世に星の数ほどいるとも言われる後継づくりを先延ばししてきた経営者の皆さん、今年こそ実現の年になるよう柳井氏の話を、是非とも参考にしていただければと思います。(大関暁夫)