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教養のためでなければ、なぜ欧米エリートは美術館に行くのか?

   本書「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」のタイトルを見て、美術館で名画を鑑賞する「教養」人を連想し、鼻持ちならない雰囲気を感じた人は多いのではないだろうか?

   評者もそんなふうに思い、敬遠していた。だが、2017年に刊行されて以来、20年7月で21刷というベストセラー、ロングセラー(紙・電子版合計で20万部)になっているワケを知ろうと、改めて手に取り、驚いた。「教養」どころか、極めて功利的な理由で、彼らは「美意識」を鍛えているというのだ。

「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」(山口周著)光文社
  • 世界のエリートは美意識を高めている!?(写真は、フランス・パリにあるルーブル美術館)
    世界のエリートは美意識を高めている!?(写真は、フランス・パリにあるルーブル美術館)
  • 世界のエリートは美意識を高めている!?(写真は、フランス・パリにあるルーブル美術館)

サイエンス重視の限界

   グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補生を送りこんでいることから、書き出している。英国のロイヤルカレッジオブアート(RCA)が提供するエグゼクティブ向けプログラムには、フォード、VISA、グラクソ・スミスクラインといった名だたるグローバル企業が、各社の将来を担うであろうと期待されている幹部候補生を参加させているという。

   著者の山口周氏は、1970年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループなどを経て、組織開発・人材育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループに参画。現在、同社のシニア・クライアント・パートナーを務めている。著書に、「外資系コンサルの知的生産術」(光文社新書)などがある。

   山口氏の同窓生の多くは、なんらかの形で美術の世界と関わる仕事をしている。彼らによると、ここ数年で美術館を訪れる人たちの顔ぶれが変わってきたそうだ。ニューヨークのメトロポリタン美術館で行われている早朝のギャラリートークに、グレースーツの知的プロフェッショナルと思しき人たちの姿をよく見かけるようになったという。忙しい出勤前の時間をわざわざ割いて、アートの勉強をしているのはなぜか?

   コンサル業界に身を置いてきた山口氏は、「忙しい読者のために」として、早くも14ページ目に以下のように回答を書いている。

「虚仮威しの教養を身につけるためではありません。彼らは極めて功利的な目的のために『美意識』を鍛えている。なぜなら、これまでのような『分析』『論理』『理性』に軸足をおいた経営、いわば『サイエンス重視の意思決定』では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです」

「直感」はいいが「非論理的」はダメだ!

   なぜ、そう考えるのか――。多くの企業、人にインタビューし、共通して指摘された3点を以下に挙げている。

(1) 論理的・理性的な情報スキルの限界が露呈しつつある
「正解のコモディティ化」が進み、「差別化」が消失する。また、分析的・論理的な情報処理スキルの「方法論としての限界」が露呈。要素還元主義の論理思考アプローチは機能しなくなる。それよりも、全体を直覚的に捉える感性と、「真・善・美」が感じられる構想力や創造力が求められる。
(2) 世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
 「全地球規模での経済成長」が進展しつつあるいま、精緻なマーケティングスキルを用いて論理的に機能優位性や価格競争力を形成する能力よりも、人の承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要になる。
(3) システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している
明文化された法律だけを拠り所にして判断を行うという考え方、いわゆる実定法主義は、結果として大きく倫理を踏み外すことになる恐れがあり、非常に危険だ。内在的に「真・善・美」を判断するための「美意識」が求められる。

   以下の本文は脚注のようなものだとしているが、内外の例がめっぽうおもしろい。直感を意思決定の方法に用いたアップルの創業者、スティーブ・ジョブ。「直感」はいいが、「非論理的」はダメだとクギをさしている。

   本書の副題は「経営における『アート』と『サイエンス』」である。アカウンタビリティの問題から、アートには勝ち目がないが、サイエンスに傾くと失敗することも多い。

   ユニクロ、無印良品、マツダなどの成功例と、東芝、三菱自動車、電通などの失敗例が参考になる。

「サイエンスのみに軸足をおいて、論理的に確度の高い案件ばかりに逃げ込み続ければ、やがて現場は疲弊し、モラルの低下とイカサマの横行という問題が起きるのは当たり前のことです」

絵を見る方法

   最後に具体的にどう「美意識」を鍛えるのか、方法を示している。絵画を見るのも一つの方法だが、漠然と見るのではない。

(1) 何が描かれていますか?
(2) 絵の中で何が起きていて、これから何が起こるのでしょうか?
(3) どのような感情や感覚が、自分の中に生まれていますか? 多くのグローバル企業やアートスクールで、行われているのが、上記のVTS(=Visual Thinking Strategy )だ。美術館に行かなくても、画集の絵などを使って自分で試みてはいかがだろうか?

   また、自分にとっての「真・善・美」を考えるにあたって、最も有効なエクササイズになるのは「文学を読む」ことだとしている。特に「詩」を読むことは、「レトリック(修辞)」を磨くことにつながり、リーダーシップと関係があるという指摘は新鮮だ。

   従来のビジネス本とまったく異なるテイストなのは、著者の異色の経歴のなせるわざだろうか。刊行から4年を迎えるが、まったく色褪せない価値ある新書だ。

「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」
山口周著
光文社
760円(税別)