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えっ、私たちもサラ金に資金を供給していた!?

   個人への少額の融資を行ってきた消費者金融は、かつては「サラ金」の名で呼ばれ、多くのテレビCMや屋外看板で広く知られる。戦前の素人高利貸から質屋、団地金融を経て変化した業界は経済成長や金融技術の革新で急成長した。

   しかし、バブル崩壊後、多重債務者や厳しい取り立てが社会問題になり、追い詰められる。本書「サラ金の歴史 消費者金融と日本社会」は、この1世紀に及ぶ消費者金融の歴史を追った本だ。

「サラ金の歴史 消費者金融と日本社会」(小島庸平著)中央公論新社
  • サラ金を一度でも使ったことがある人は約2000万人もいた
    サラ金を一度でも使ったことがある人は約2000万人もいた
  • サラ金を一度でも使ったことがある人は約2000万人もいた

サラ金がセイフティネットを代替した時代

   サラ金については、社会問題化した当時に、新聞記者や弁護士がその内情を書いた本が多くあるが、本書は経済学の研究者が書いたのが異色だ。著者の小島庸平さんは、1982年生まれ。東京大学大学院経済学研究科准教授。著書に「大恐慌期における日本農村社会の再編成」(ナカニシヤ出版)がある。

   多くの先行書や論文などを参考にしながらも、新書として書かれたので、叙述はわかりやすい。書き出しは駅前でティッシュ配りをしていたサラ金の社員の姿から始まる。いまや過去の光景になってしまったのはなぜか?

   2006年に制定され、10年から完全施行された改正貸金業法により、いわゆるグレーゾーン金利が明確に否定され、金利は最高でも年20%に引き下げられた。過去に払い過ぎた金利は「過払い金」として取り戻せることが広く知られ、各社の経営は著しく悪化した。

   現在、アイフルを除く大手は、軒並み銀行グループの傘下に入っている。業界最大手だった武富士は、17年に会社更生の手続きを終えて倒産し、過払い金の返還を停止している。

   小島さんは本書を書いた動機を、こう書いている。

「なぜ純粋な営利企業であるはずのサラ金が、貧困層を金融的に包摂するに至ったのか。サラ金がセイフティネットを代替するという『奇妙な事態』が生まれた歴史的背景を、本書では考えてみたい」

   そのカギとして、金融技術の発達に注目している。戦前、サラリーマンは商人に比べ、身軽で大した資産も持たず、首切りの危険さえあり、一見エリートのようでも、金を貸すにはリスキーな存在に見られたという。

   そこで多かったのが職場の同僚に有利子で金を貸す素人高利貸だ。自分がよく知った同僚が顧客だから貸し倒れの心配は少ない。副業から本職となり、その中からサラ金の基礎を築く人びとが現れた。

戦後生まれた団地金融

   金融機関による小口信用貸付として、サラ金の直接の源流と小島さんが見ているのは、安田銀行系列の日本昼夜銀行が1929年に始めた「サラリーマン金融」である。対象は公務員か「相当なる会社」に勤めるサラリーマンに限定され、連帯保証人を複数立てなければならなかった。

   結局、庶民が頼ったのが質屋だった。そして戦後、団地金融が生まれる。「団地の方なら信用させていただきます。お電話一本で御希望の現金を届けます」というキャッチフレーズで急伸した。

   「居住形態というノーコストで入る情報が、顧客の全信用情報を織り込んでいると判断し、大胆に金を貸し付ける」という、当時としては革新的な簡便な審査方法を導入したのが、成功の要因だった。

   だが、融資の対象を稼ぎ主の夫ではなく、主婦である妻だけに限定したことに限界があった。60年代半ばから団地金融に代わり、サラリーマン金融が急速に成長する。

   アコム、プロミス、レイクの創業者たちの経歴を紹介しながら、それぞれ独自の融資方法を編み出していったことを詳しく書いている。なかでも融資対象を公務員か上場企業の社員に限定していたプロミスの創業者の言葉が印象に残る。

「役所なり企業の入社試験が則ち当社の貸付調査である」

   勤務先情報だけに基づいて融資するサラリーマン金融の誕生は、団地金融と並ぶもう一つの金融技術の「革新」だった。

   ところで、サラ金各社はどうやって資金を確保したのか――。本書では武富士の創業者、武井保雄を例に説明している。金融機関の担当者を接待するため、「命懸け」で酒を飲み、出会ったのが東京相互銀行(後に東京相和銀行に改称、現・東京スター銀行)の会長だった長田庄一だ。同行をメインバンクにし、巨額の資金調達に成功し、短期間で業界最大手となった。

サラ金の背後にいた銀行は......

   70年代に融資先の確保に苦しみ、サラ金向け融資に力を入れたのが信託銀行や日本長期信用銀行(現・新生銀行)などだった。豊富な資金を背景にサラ金各社は女性向け商品を開発。女性客を取り込むため駅前でのティッシュ配りはこの頃盛んに行われた。

   サラ金各社は競って審査基準を緩和した。貸し倒れを少なくするため、信用情報の共有化が始まった。不良債務者のブラック情報を共有する業界団体、日本消費者金融協会(JCFA)がつくられ、現在の日本信用情報機構(JICC)につながっている。

   本書の後半は、サラ金が社会問題化し、さまざまな立法が行われていった過程を描いている。

   2006年の改正貸金業法が成立した当時の自民党の内情がおもしろい。小泉政権下、政治献金を受け取っている議員らから規制に手心を加えようという動きもあったが、業界の既得権益を守る「抵抗勢力」と見られることを恐れ、金利引き下げに反対しにくい雰囲気になったという。

   そして今、主要なサラ金各社はメガバンクを中心とする銀行の傘下に入り、小口信用貸付の主流は銀行のカードローンへと移りつつある。たとえ、サラ金を利用していなくても、銀行に預金している我々自身が、「究極的にはサラ金の金主だった」と小島さんは書いている。

   サラ金の問題を他人事ではなく「自分事」として認識することで、将来のあるべき金融や経済のあり方を議論してほしい、と終章を結んでいる。

   それにしても、1987年当時、レイクが金利を36%に引き下げて業界最低を更新した、という記述には驚いた。現在、クレジットカードのキャッシングの金利は約18%が主流だ。いかに高利だったかを改めて痛感した。

   2006年の改正貸金業法が成立した当時、サラ金の借入残高がある人は約1400万人、一度でも利用したことのある人は約2000万人もいた、とある。語らずとも多くの人がサラ金の消長を複雑な思いでかみしめているに違いない。

「サラ金の歴史 消費者金融と日本社会」
小島庸平著
中央公論新社
980円(税別)