J-CAST ニュース ビジネス & メディアウォッチ
閉じる

コロナ対策がかえって問題を引き起こしている逆説【新型コロナウイルスを知る一冊】

   東京オリンピックの閉幕とともに、新型コロナウイルスの感染拡大がまたクローズアップされてきた。国内の新規感染者は連日2万人を超え、軽症者や一部の中等症の人は、入院できず、自宅療養を余儀なくされている。

   あらためて新型コロナウイルスがもたらした影響や対策について、関連本とともに考えてみたい。

   2021年8月22日に投開票が行われた横浜市長選で、菅義偉首相が推した候補が落選し、菅首相への風当たりが強くなっている。IR(統合型リゾート施設)誘致などの政策論争よりも政府の新型コロナウイルス感染対策への不信が、選挙の帰趨を決したという声も大きい。

   本書「コロナ対策禍の国と自治体」(筑摩書房)は、行政のコロナ対策自体が禍いとなっている現状を分析し、現状の権力集中型に代わる、地道な災害行政のあるべき姿を考える本である。

「コロナ対策禍の国と自治体」(金井利之著)筑摩書房
  • 政府の新型コロナウイルス感染対策への不信が募っている(写真は、菅義偉首相)
    政府の新型コロナウイルス感染対策への不信が募っている(写真は、菅義偉首相)
  • 政府の新型コロナウイルス感染対策への不信が募っている(写真は、菅義偉首相)

日本の災害行政と組織の限界

   著者の金井利之さんは、東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門は自治体行政学。著書に「行政学講義」、「自治制度」などがある。

   本書のタイトルの文言が、「コロナ禍」ではなく、「コロナ対策禍」とあるのに注意したい。コロナ禍の対策がさらなる問題を引き起こす「コロナ対策禍」となっていることを指摘している。要するに、「行政の作為による失敗の研究」である、と冒頭に書いている。

   まず、行政学の専門家の立場から、戦後の災害行政の変遷をたどっている。1959年の伊勢湾台風を契機に、それまでの場当たり的な災害対策を総合化して、1961年に災害対策基本法が制定された。その後、1995年の阪神・淡路大震災に対して国の対応がうまくいかなかったという反省から、内閣機能が強化された。

   東日本大震災への対応などを検討し、平常時に存在している行政組織を、災害時・非常時に転用する災害行政組織の限界を挙げている。そして、法令への逃避、「泥縄」という対処方針、学知への逃避などの対応をとるのが特徴だとしている。

   こうした一般論を踏まえたうえで、第2章でコロナ対策禍について論じている。

   国は新型コロナウイルスを「新感染症」として位置づけ、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(特措法)の適用が可能だったのに、そうはしなかった。特定のコロナウイルスに起因することが判明した以上、「新感染症」ではないという理屈である。そこで、特措法を改正して、新型コロナウイルスに適用できるとした。

「前のめり」になった為政者たち

   金井さんは、このあたりから権力集中を体現した災害行政の仕組みを新型コロナウイルスにも発動する政権の意志が表れた、と見ている。そして安倍政権は「前のめり」になっていく。その第1弾が全国一斉休校の要請だった。さらに「アベノマスク」配布。「官邸官僚の思いつき提案として、権力集中の意思決定構造自体に不信が向けられた」。

   また、自治体のトップも以下のような行動をしたと分析している。一部を抜粋する。

演技系 「訴求」。目立つために「都市封鎖」「ロックダウン」などの表現を用いる。
我我系 「吝嗇」。自粛要請や緊急事態宣言などと口出しはするが、休業補償・雇用賃金保障などには消極的である。
愚昧系 「自縄自縛」。オリンピックを招致したので、IOCが延期を決めるまでは、広範な検査によって感染拡大を認めることもできない。また、招致した以上は、返上することもできない。

   さらに、「浅知恵」「拙速」「二十基準」「矛盾」「差別」など、19の特徴を挙げている。金井さんは、自治体がこうした事態に陥ったのは、地方分権と言われながら、小泉政権・第二次安倍政権などで、官邸主導による国政での権力集中が進んだからだ、と分析する。

「追従と忖度の自治は、国政政権が恐慌を起こして、方針や方向性を消失したときには、無規律の暴走を始める。なぜならば、追従・忖度すべき対象が消失するからである」

   感染症対策は、感染源となる人間を早期に発見して、他の非保有集団から排除する対策になりがちである。そのさまざまな諸相を図式を使って説明する様がわかりやすい。たとえば、一律に自粛要請する「投網」型の鎮静は、形式的には公平に見えるが、実質的には標準階層、自由階層、医療階層、従事階層、不安定階層と5つの階層をつくり、不公平と分断を生み出した、としている。

   また、特定の分野に限定した「折衷」型の鎮静も行われた。特に、3密になりやすい施設の運営自粛が進められた。地域限定型の鎮静も行われた。排除と鎮静と流行のなかで、コロナ対策は右往左往していく。

   金井さんは、非難応酬の構造を分析し、国や自治体の弁明の方策なども検討している。本書の発行は、2021年5月であり、その後の東京オリンピックの開催と第5次とされる現下の爆発的な感染前である。しかし、おおよそのことは本書が言及している通りである。

   最後に二つ、本書から受けた重要な論点を挙げたい。一つは、学校が児童ケア施設であるという視点だ。感染拡大により、夏休みを延長する動きが一部の自治体で出ている。保護者の負担は増えるが、どういう議論が行われるだろうか。

日本はロックダウンできない社会

   もう一つはロックダウンの前提は法的権限や警察取締力ではなく、ロックダウンができる社会であるかどうかという視点である。

   ヨーロッパ諸国で可能なのは、雇用(失業)保険給付、住宅保障、老齢年金・子供手当などの所得保障、年間労働時間の短さなど、ステイ・ホームしても民衆社会が成り立つ社会生活インフラを、日本に比べて相対的に整備してきたことによる、と説明している。

   日本が実行できないのは、法的権限がないからではなく、社会生活インフラがないからだというのだ。日本は国民経済と国民生活が切り離せない「就労第一社会」であり、ロックダウンできない。

   第一次緊急事態宣言下での「投網」型鎮静は、いわゆるロックダウンではないにもかかわらず、経済=生活に大打撃を与えてしまったのは、そのせいだという。社会の構造から変えなければならないのか、と思うと気が遠くなる思いがした。(渡辺淳悦)

「コロナ対策禍の国と自治体」
金井利之著
筑摩書房
1034円(税込)