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スッゴイ派遣社員はいかにして巨大グループの役員に駆け上がったのか!

   なんともすごいタイトルだ!

   「派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則」。半分眉に唾を付けて手にした本書だが、中身は本物だった。巨大グループ企業とは、グローバルに事業を展開する大塚製薬株式会社。いかにして派遣社員は、ステップを駆け上がったのだろうか。

「派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則」(二宮英樹著)ダイヤモンド社
  • 派遣のヘルプデスクという仕事から……(写真はイメージ)
    派遣のヘルプデスクという仕事から……(写真はイメージ)
  • 派遣のヘルプデスクという仕事から……(写真はイメージ)

得意分野を極めよ、できれば2つ

   著者の二宮英樹さんは、1979年徳島県生まれ。高校卒業後、ミュージシャンを目指して米国に渡るが挫折。2001年に帰国。大塚製薬に派遣のヘルプデスクとして入社。試行錯誤の結果、10年後にはグループ会社の大塚倉庫執行役員IT担当になった。その後独立し、2つの会社の代表取締役を務め、国内外の企業に情報セキュリティ関連サービスを提供している。

   自伝的なエピソードを交えて、何を武器にどうやって道を切り開いたのか、人との衝突をどうやって避けたか、心が折れそうになった時はどうしたかという話を書いている。

  親切にも、「まえがき」に、そのポイントをこう書いている。

「自分の得意分野を極めること(できれば一つではなく2つ以上)、その力を効果的に発揮できる抜け道(ループホール)を戦略的に選ぶこと、そして期待に応えるために全力で取り組むこと」

   二宮さんの得意分野とは? それは破天荒ともいえるアメリカ行きに手がかりがあった。二宮さんは高校では、勉強はそこそこといった感じで、サッカーに打ち込んでいた。ある日、「スラッシュメタル」というジャンルのハードロックを聞き、ハマってしまった。仲間とライブに出たが物足りず、「四国を出て、ロサンゼルスへ行こう」と思い立った。四国から出るという意味で、東京もロサンゼルスも変わらないと思ったという。

   ロサンゼルス郊外のサンタバーバラの語学学校に入ったが、金がない。目に飛び込んできたのが、ゴミとして捨てられていたコンピューターだった。パソコンを持ち帰り、電源を入れても何も表示されない。ウインドウズ95のマニュアルを見ても、うまくいかない。自分で必殺技を編み出し、なんとか復活させた。

「仕事に全力で向き合うアメリカかぶれのヤツ」

   これが学生仲間に評判になり、修理の依頼が殺到した。最初はボランティアで、やがて謝礼を受け取るようになった。最初のビジネス体験だった。コンピューターに詳しくなるのが楽しくて、勉学や音楽以上に打ち込んだ。2年制の単科大学を卒業し、4年制の大学へ進もうと考えていた矢先に、「9.11」のテロが起きて、進学するためのビザがいつ取得できるかわからなくなり、失意のうちに帰国した。徳島には戻らず、東京で暮らすことにした。

   そこで気づいたのは、自分には武器がない、ということだった。アメリカに5年半もいたが、2年制大学を出ただけで、これといった資格もない。英語も多少話せる程度。得意のコンピューターの知識を生かそうと、派遣会社の門をたたき、紹介されたのが、大塚製薬だった。地元・徳島にルーツがある企業で、名前だけは知っていた。

   与えられたのは、「ITのヘルプデスク」という仕事。社員がコンピューターを使っていて、困ったことがあると解決する仕事だった。当時5000人以上いた社員からの相談を4人で引き受けていた。めちゃくちゃ忙しく、辞める人も多かったが、なんとか踏ん張った。

   社員からコンピューターの更新方法を尋ねられ、自分なりのプランをまとめ、会議でプレゼンした。しかし、「他社ではやっていない、前例がない」と否定された。押し問答の末、プランは承認された。「生意気だが、仕事に全力で向き合うアメリカかぶれのヤツ」として認識されることになったという。

   外部エンジニアの先輩と二人で、全従業員のPCを、ウインドウズ98からウインドウズXPに、またメールシステムなどの環境を一斉に切り替えることに成功した。一人で1日100件を超える問い合わせに対応するうちに、自然発生的に全国の支店の人たちと独自のホットラインと信頼関係が構築されるようになり、「ITといえば二宮くん」と覚えてもらえるようになったそうだ。

正社員になった日

   次の転機が英語だった。日常会話をこなせる程度だったが、情報システム室長から海外に送るメールの下書きを頼まれた。ネイティブのメールをコピペして修正した。「海外との連絡係も二宮くん」という雰囲気が生まれた。

   気がつけば、グローバル会議の裏方になり、ヨーロッパの主要子会社のITのトップとも共闘するようになった。やがて、アメリカの進んだIT技術やアメリカの子会社の考え方や戦略を日本の本社の担当者にわかりやすく説明するという複雑な「翻訳」が仕事になった。

   自前サーバーのクラウド化を提案し、反対を押し切って導入に成功。日本の会社で提案を通すための「根回し」も自分なりに覚えた。契約社員として年収1000万円を突破した。だが、徳島の親に話しても「そんなに稼いでも、正社員にはしてもらえないの?」というつれない反応。理解されない孤独感が募った。

   上海万博への出展プロジェクトにかかわり、大塚ホールディングスのグローバルIT担当として働いていた30歳のある日、役員に呼ばれた。正社員になり、室長補佐をやれ、という話だった。自分は雇用形態には興味がなかったが、「役職」には関心があることを初めて知ったという。

   その後の成功、昇進、独立についても書いているので、詳しく知りたい人は本書を読んでいただきたい。

   「あとがき」で、二宮さんは派遣のヘルプデスクという仕事は、たまたま就いたものではない、と書いている。その仕事はループホール(抜け道)だと思い、進んでその仕事に就いたのだと。

   部署に縛られず、会社中の人と接することができる。その会社が抱えている問題点を客観的に見ることができるポジションだからだ。

   どこかにループホールはあるはずだ。「みんなが通る道ではなくて、誰も通ったことのない道にこそ、新たなチャンスがある」と鼓舞している。

   派遣社員、若手社員が読めば、勇気が出る本だ。

「派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則」
二宮英樹著
ダイヤモンド社
1650円(税込)