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No.12 「宇宙戦艦ヤマト」と「NARUTO」の関係は?

『ナルト』の駅?
『ナルト』の駅?

2010年2月27日午後5時20分、バードと花巻ナル(♂10歳)は千葉県のJR旭駅にいましたとさっ!映画「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」鑑賞のため、ジャスコ4階にある「旭サンモールシネマ」に行く途中です。

バード 「・・・やっと着きました・・・・」

ナル 「・・・遠かったってばよっ!往復7時間以上、電車に乗るってばよっ!」

バード 「・・・まぁ、イスカンダルに行くと、思えば・・・」

ナル 「イスカンダルより、遠かったってばよっ!」

バード 「・・・でも、『JR特急しおさい』車内で食べた『元気豚 佐倉味噌漬弁当』(850円)は超美味しかった・・・じゃん?」

ナル 「超ウマだったけど・・・なんで去年の11月に買った、前売り券、観るのが今?!なんだってばっよ?新宿でやってたのに」

バード 「・・・観たら終わっちゃうじゃん」

ナル 「は~あ?」

バード 「だって、17年間待ったんだし、というか、本当は06年公開だったはず、だったし・・・・。『旭サンモールシネマ』くらいしか上映してなかったし・・・」

ナル 「意味わかんないし、駅の周りは何にもないし、人いないし、寒いし・・」

バード 「何もなかったワケじゃない、途中で、『ナルト』の駅があったじゃん」

ナル 「おぉ、あれは最高だった!!!。では元気出して参ろうか!!!」

(旭サンモールシネマに到着しました)

受付のお姉さん 「空席はこちらになります。お好きな席を選んでください」

バード 「・・・・・・・・」

お姉さん 「濃い、緑色が空席です」

バード 「ズハーッッ!!!・・・全部、濃い・・・」


「宇宙戦艦ヤマト」
1974年10から日本テレビ系で放送。全26話。
「宇宙戦艦ヤマト2」
78年10月から日本テレビ系で放送。全26話。
「宇宙戦艦ヤマトIII」
80年10月から日本テレビ系で放送。全25話。
映画は、
「宇宙戦艦ヤマト」(77年公開)
「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(78年公開)
「ヤマトよ永遠に」(80年公開)
「宇宙戦艦ヤマト 完結編」(83年公開)

   ヤマトは「国民的アニメ」のため、説明するのがもどかしい。テレビ放送第1回目は真っ暗な画面から始まり、タイトルも、オープニング曲もなく面食らった。非常に斬新な展開で、当時、基本的に1話完結のアニメが主流の中、「地球滅亡まであと268日 ヤマトよ急げ!」などのナレーションもあって、翌週が待ち遠しかった。同じ日本テレビ系で放送されていた太平洋戦争アニメ「決断」(71年から放送。全25話)の印象が強く残っていたため、すんなりとヤマトに感情移入ができた。

   しかし、視聴率は伸びず、当初予定していた半分の放送回数で終了。そのため、イスカンダルで放射能除去装置「コスモクリーナー」受け取ると、その後のドラマは割愛されすぐに地球に帰還する、といった展開になる。

   映画「ヤマトよ永遠に」で、乗組員全員が死亡して終わってしまうのだが、原作者で西崎義展プロデューサーが「みなさん、もっとヤマトが観たいでしょ?」の一言でテレビ放送と映画が再開。富野由悠季監督が「ヤマトのようなグダグダの展開にしない!」と「ガンダム」を制作するなど、批判もあったが、「やっぱりヤマトが観たい!!!」というファンが圧倒的だった。

   ヤマトの良さは、日本人が日本人の技術で地球を救うこと。ヤマトは敵に攻撃されボロボロになり、沈没しかけ、それでも立ち直る「サディスティックとマゾヒストの混合」。ヤマトはもうダメだ!!!となった時、技術師の真田志郎が「こんなこともあろうかと」、と、隠していた新兵器を出してくること。乗組員全員が倒れて、誰も操縦できなくなったとき、ヤマトが自分で操縦して目的地に行くこと。

   そして、ストーリーで死んでしまったキャラが、何の説明もなく生き返ってくること。それこそが、「ヤマトは不死身だ!」と言われる所以である。

   そんなこんなが「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」でまた観れるのか。<モノウォッチ