昨年末に、2012年の総括をしようと思ったが、やめた。
理由は、去年、一昨年となにも変わるところがないと判断したからだ。「AKBとジャニーズを柱に、プラスアルファが売れ筋だった」くらいしか書きようがないのだ。
と同時に、日本の音楽産業そのものに「ENDマーク」が出てしまったような気配が感じられ、「未来を予見するための総括」という意味を見いだせなかったのだ。その理由は、こうだ。
2012年には、AKBの前田敦子が卒業するというニュースを、NHKまで含めたあらゆるメディアが横一線で取り上げるなどということが起きた。しかし、大騒ぎした挙句、それ以降前田敦子の報道などとんと見かけない。大山鳴動なんとやらである。これはなにを意味するのか?
音楽産業を支える柱でもある天下のメディアが、ただの一過性しかもたない情報を必要以上に取り上げるということに、違和感があった。どう考えても、日本のマスメディアが劣化したのだという結論しか見いだせなかったのだ。なんの包括性も予見性もない、垂れ流しのメディア。
音楽は、マスメディアの存在がなければ、今日に至る発展はなかった。だがいまのマスメディアには、音楽を発展させる要因はない。
そんな中、大晦日の「紅白歌合戦」で、なにか愁眉が開くという感覚を持った。それは、美輪明宏の存在だった。
今から40年も前に、美輪明宏は丸山明宏という名で、シャンソン歌手としてメディアに登場していた。当時脚光を浴びたのは、母の姿を歌った、紅白でも披露した「ヨイトマケの唄」であり、「ブルーボーイ」などと言われていたその美しさだった。天草四郎の生まれ変わりと、当時から言われていたのだ。
紅白でなぜ黄色い髪でなく黒髪で歌ったのかと聞かれ、美輪は「三世代を歌いこんだ歌を黄色い髪では歌えない」と言い、歌そのものを聴衆に届けるためには、余計なイメージ付けを排除して「黒一色」のヴィジュアルで歌ったと言った。
美輪明宏の歌の存在感は、ある意味今時の歌うたいの範疇を遥かに超えるもので、なにか日本の歌の有様すら変えてしまうのではないかというほどのものだった。
「よいとまけの歌」が、初めて世に出てから40年を経て日本中に響いたということに、大きな意味を感じる。有り体に言えば、いまの時代、人々に迫る歌が、他にないのだ。
これはあくまでも私見だが、2013年、それが良いのか悪いのかという議論は置いておいて、今の若い世代がロックだとかラップだとかいうこととは別の、歌そのものの力が表出してくるような音楽が登場してくるのではないかと思っている。
2012年の由紀さおりの再評価に通じる、歌の力の再評価という意味では、演歌の台頭もあり得るのではないかとさえ思う。
なにはともあれ、2013年は、音楽を発展させる力のないメディアに踊らされることなく、音楽がバランス良く発展するよう祈るばかりだ。
加藤普
◆加藤 普(かとう・あきら)プロフィール
1949年島根県生まれ。早稲田大学中退。フリーランスのライター・編集者として多くの出版物の創刊・制作に関わる。70~80年代の代表的音楽誌・ロッキンFの創刊メンバー&副編、編集長代行。現在、新星堂フリーペーパー・DROPSのチーフ・ライター&エディター。