2024年 4月 16日 (火)

通称「ワルトシュタイン」/愛称「夜明け」...ベートーヴェン中期傑作ピアノソナタ第21番が2つの"別名"を持つ理由

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   ベートーヴェンはピアノという楽器が発明されて、つぎつぎに改良を加えられていた時に活躍した作曲家です。彼の全32曲あるピアノソナタは、ピアノ作品の金字塔として古今東西のピアニストによって弾かれていますが、前期と中期と後期では、たとえば使われている音域などが違います。最初の頃は小さなピアノしか彼の手元になく、それが、作曲家としても名が売れてくれるに連れ、ピアノ製作者から最新の試作品を提供され、その新しい楽器をつかって作曲した、ということを裏付けてくれます。

    今日は、新しくて性能がいいピアノが彼のもとにもたらされた時に、その楽器の性能に喜びを覚えて作曲されたといわれているピアノソナタ、第21番を取り上げます。通称「ワルトシュタイン」という名でよばれています。

  • 献呈の辞が見られる第1楽章
    献呈の辞が見られる第1楽章
  • 「暁のソナタ」と呼ばれるきっかけになった第3楽章の冒頭
    「暁のソナタ」と呼ばれるきっかけになった第3楽章の冒頭
  • 献呈の辞が見られる第1楽章
  • 「暁のソナタ」と呼ばれるきっかけになった第3楽章の冒頭

ベートヴェンをウィーンに送り音楽史を"変えた"伯爵

   フェルディナンド・フォン・ワルトシュタイン=ヴァルテンベルクという人は伯爵で、ベートーヴェンにただならぬ影響を及ぼした人です。ポーランド選帝侯の侍従、ドイツ騎士団の騎士、という立派な肩書もさることながら、ピアノも上手で、音楽的素養があったために、ハイドンやモーツアルトという大音楽家と知り合いであり、その実力を高く評価していたのです。叔母のトゥーン伯爵夫人はグルック、ハイドン、モーツアルトといった「帝国の出身であるがウィーン子ではない」音楽家のウィーンデビューを助けていましたが、ワルトシュタイン伯は、ドイツのボンにいて、地元のオーケストラ団員という境遇に満足していなかった若きベートーヴェンの才能を見抜き、ウィーンに行くことを熱心に勧めたのです。具体的には、彼の雇い主に掛け合ってウィーン行きの許可を取り、モーツアルトに師事するように、とヒントまで与えて送り出してくれたのでした。

   ベートーヴェンは何回かモーツアルトにレッスンしてもらいましたが、モーツアルトは若くして亡くなりましたから、長い師弟関係は結べませんでした。しかし、たくさんの才能があふれるウィーンという都会に、ベートーヴェンはすっかり魅せられ、この街で人生の後半の活躍をすることになります。ワルトシュタイン伯の慧眼がなかったら、音楽史は変わっていたかもしれません。

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でフプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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