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「伝説の歌手」森田童子よみがえる 最新リマスターCDや「全曲集」、36年前の「お宝動画」も

   「ぼくたちの失敗」のミリオンヒットで知られる歌手、森田童子さんが静かによみがえっている。2016年は最新技術によるリマスターのアルバム全集が発売され、「全曲集」の楽譜も出版された。ネットでは36年前のコンサートの「お宝動画」や、ラジオにゲスト出演したときの貴重なトークも公開され、驚きが広がっている。

    森田さんは、表舞台から姿を消して久しく、きわめて情報の乏しいミュージシャンとして知られている。それだけに、感慨深いファンも多いようだ。

  • リマスターされた森田童子9作品のうちの一枚「GOOD BYE グッドバイ」
    リマスターされた森田童子9作品のうちの一枚「GOOD BYE グッドバイ」
  • リマスターされた森田童子9作品のうちの一枚「GOOD BYE グッドバイ」
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引退後に「高校教師」でブレイク

   最新リマスターのアルバムは7月20日、ユニバーサルミュージックから発売された。廃版となっていた8枚のアルバムに、 カセットのみで発売されていた1点をCD化して加え、計9枚を同時発売。オリジナル・アナログ・マスターテープを最新のデジタル技術で再調整し、高音質SHM-CD(スーパー・ハイ・マテリアル)にしたものだ。

   森田さんは1952年生まれ。75年ごろからライブハウスなどで歌い、若い世代を中心に、一部で熱狂的な人気を誇った。しかし83年、新宿ロフト公演の最後に、時代に背を向けるかのようにひっそりと音楽活動を閉じた。

   再びスポットが当たったのは93年、テレビドラマ「高校教師」に作品が使われたのがきっかけ。再発売されたシングル「ぼくたちの失敗」は100万枚に迫るビッグヒットになり、アルバムも再リリースされるなどブレイクした。しかし本人は沈黙を続け、マスコミの前には現れなかった。

   今回再発売された9アルバムの多くは、オリコンのベスト100入り。アマゾンの5 段階評価でも「5」が目立つ。廃版になって久しく、中古市場でもプレミアム化していたので、「待望の再発売」「最高の音質」「快挙」と歓迎する声が並ぶ。ユニバーサルミュージックは再発売した理由をこう説明している。

   「森田童子の描き出す世界が、デビューから40年を過ぎてなお、リアリティーを増幅させている気がします。果てしない絶望とそれでも残るわずかな希望。不確かな実存とどこまでも広がる虚無。刹那の人間関係の渦と漠然とした不安に包まれた、先の見えないこの世界が、まさに今、森田童子の歌を必要としています」

   8月には楽譜の「森田童子全曲集」(呉PASS出版)も発売された。300ページ、4300円。全64曲について五線譜化し、コードも付けられている。弾き語りしたい人向けだ。アマゾンの部門別ランキングで一時はトップになっていたという。

「貴重な映像」「童子が動いてる」

   ファンをさらに驚かせているのは、「動画」の公開だ。森田さんは現役当時、テレビの歌番組には出なかったといわれ、「動いている映像を見たことがない」というファンも多く、「伝説の歌手」とも言われていた。

   ところが1年ほど前、Youtubeで「夜行」と題された動画がアップされた。3分割されており、全部で20分ほどの短いもの。1980年11月、池袋・三越裏の空地で開催された森田さんの黒色テントでの公演「夜行」を追ったドキュメンタリー映像だ。

   コンサートは5日間で3000人の聴衆を集めたという。映像の中では、打ち合わせシーンなどで森田さんが頻繁に登場する。リハーサルでの音合わせの様子や、「地平線」「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」などを歌うライブ映像、さらには開幕前の聴衆へのインタビュー、観客席の反応なども紹介され、当時の森田さんのライブコンサートがどんなものだったか、タイムスリップしてわかる内容となっている。

   動画には累計で約5万のアクセスがあり、「う・う・動いてる・・・・すげぇ~」など驚きのコメントが掲載されている。

「これは本当に貴重映像ですな! 童子が動いてる」
「自分が生まれる遥か前のアーティストさんなので、動いてる映像は本当にありがたいです!!」
「中学生の頃よく聞いた森田童子さんが歌っている動画を56歳の今初めて見ました」
「この映像は初めて見ました。昔、新宿ロフトのライブに通いました」

   このほか、かつて小室等さんのラジオ番組に、ゲストとして出演した時のテープも最近ネットにアップされている。同じフォーク系ミュージシャンということもあり、話が弾んでいる。歌の中で常に「ぼく」という理由や、アレンジをめぐる裏話なども語られ、スタジオ内の弾き語りで「さよならぼくのともだち」を歌っている。

    森田さんの消息は83年に活動を停止してから、ずっと不明のままのようだ。最近では2010年5月、朝日新聞の「うたの旅人」欄で、「ぼくたちの失敗」を担当した保科龍朗記者が、仲介者をたぐって接触を試みたが、「とても親しかった人との唐突な死別とみずからの病で『手紙すら書けないほど憔悴している』」という返答だった。