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「楽園の三羽の美しい鳥」作曲したラヴェル 戦争へのやるせない思いを表現

   8月の日本は、2つの原爆の日と、終戦記念日があり、戦争と平和について考える機会が多くなります。今日は、戦争への作曲者の思いが詰まっているがゆえに、この上なく美しい曲、近代フランス音楽を代表する作曲家、モーリス・ラヴェルの「楽園の三羽の美しい鳥」を取り上げましょう。

  • どこか悲し気なまなざしのラヴェルの肖像写真。体形が軍隊向きではないこともわかる
    どこか悲し気なまなざしのラヴェルの肖像写真。体形が軍隊向きではないこともわかる
  • どこか悲し気なまなざしのラヴェルの肖像写真。体形が軍隊向きではないこともわかる

熱烈に軍隊に志願もすぐに体調を崩し除隊

   2度の世界大戦において、フランスは「戦勝国」に分類されます。戦勝国規定のために、敗戦国である日本において、フランス作品の著作権が「戦争中は停止していた」という扱いの元、数年延長される・・という事態があり、現代に生きる音楽家でも「日本は連合国に敗れたのだ」という歴史を肌身で感じることがありますが、戦勝国といってもフランスは、第1次、第2次大戦とも、あまり「戦勝気分」は味わっていません。第2次大戦の時は、開戦1か月足らずでナチスドイツに降伏して、戦争中「ほとんど被占領国」でしたし、第1次大戦の時にも、ドイツ軍に国内まで押し込まれて、自国内で長い膠着状態が続いた結果、膨大な人的犠牲と、100年後の現在でも「毒ガスや不発弾で人の住めない」地域が作られてしまったという、多大なる犠牲を払ったうえでの「戦勝」だったからです。戦争が終わったときには、なにより平和が来てほっとした、というのが実感だったのではないでしょうか。

   1875年生まれで、1937年に亡くなっているラヴェルにとっての「戦争」は、当然第1次大戦になります。ラヴェルは、すでに40歳という年齢、その上に体が小さく体重も軽く、お世辞にも体力があるという人間ではなかったので、早々に「兵役免除」となってしまいます。戦争が勃発した1914年には、すでにフランスを代表する作曲家でしたから、当局が彼のような才能を一兵卒としては扱えない・・という配慮を働かせたのかもしれません。

   しかし、それでもラヴェルは、熱烈に軍隊に志願しました。最終的には、戦闘には直接かかわらない運転係として採用され、救急車や輸送車の運転を担当しましたが、すぐに体調を壊してしまい、除隊となりました。

「赤い鳥」が意味したものは

   戦場から戻ってきて、まだ戦闘が続く中、1915年から1916年にかけて、ラヴェルは合唱のための「3つの歌」を完成させます。その2曲目が「楽園の三羽の美しい鳥」です。歌曲において、通常、作曲家ラヴェルは作曲に専念し、歌詞は他の詩人のものを使うことがほとんどですが、ごくわずかですが、作詞も彼自身という作品があります。それだけ、思い入れが激しい作品ということになると思いますが、この「3つの歌」もラヴェルの作詞なのです。

   諧謔(かいぎゃく)的かつ、おとぎ話のような1、3曲目に対し、1914年初めには完成していた2曲目は美しくも悲しい歌詞を持っています。

楽園の三羽の美しい鳥
(私の恋人は戦場にいる)
楽園の三羽の美しい鳥は、
ここを通って行った

一羽目は空よりも青く
(私の恋人は戦場にいる)
二羽目は雪の色
三羽目は鮮やかな赤

   三羽の鳥が、それぞれ、青、白、赤である、というのは、紛れもなくフランス国旗の色を表していると思われます。歌い手=主人公の恋人は、第一次大戦の戦場にいるようですが、それがどんな人かは、一切説明がありません。

   歌は進み、主人公は、三色の鳥が何を運んでくれるの?と問いかけ、最後に、赤い色の鳥の順番が回ってきます。

楽園の赤い鳥
(私の恋人は戦場にいる)
楽園の赤い鳥
あなたは何を運んでくるの?

美しく、深紅の色の心臓です
(あなたの恋人は戦場にいる)
ああ!私の心臓が凍り付いてゆくのを感じる
これも一緒に持って行って

   最後の段落だけ、私の恋人、があなたの恋人、に代わっていたり、それまで戦場、という単語は出ていても、一見美しい鳥たちの歌のように聞こえていた曲ですが、「心臓」という単語が登場する最後の段落あたりから、ただならぬ内容であることがわかります。

   しかし、あくまでも美しく、悲しげなメロディーに乗って、この歌は最後まで歌われます。

空軍に志願するも戦場には飛び立たず

   それにしても、ラヴェルはなぜ「鳥」を主人公にしたのでしょうか?

   実は、弟をはじめ、周囲の親しい人たちが続々と徴兵され、戦場に送り込まれた後、ラヴェルがいてもたってもいられず志願したのは、空軍だったのです。知り合いの政治家のコネを使ってまで、そして、自分の軽くて貧弱な体形を自覚していたラヴェルは、世界最初の空軍であるフランス空軍に入隊しようとあの手この手を尽くしたのでした。

   陸軍の歩兵、騎兵、砲兵、工兵の諸兵科に追加する形で、下院議会の議決を受けて航空隊が正式に発足したのは、1912年のことでした。148機の作戦機と15機の気球をもって第1次大戦に突入した空軍は、1918年11月の休戦までに3608機の機体を投入することになりました。4年間で5500人もの操縦士・偵察員が命を落とし、その死亡率は全体の31%にも達したのです。

   結果的には、運転手として配属され、戦場の空には飛び立つことのなかったラヴェルですが、戦地に赴く前に残した「楽園の三羽の美しい鳥」は、今でも、彼の戦争という理不尽なものに対しての、やるせない気持ちを伝えてくれます。

   フランス語で「パラディ Paradis」は、「楽園」とも「天国」とも訳せます。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

   私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。