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東京パラリンピックまであと2年 陸上・山本篤「金メダル」目指し意気込み

   2016年のパラリンピック・リオデジャネイロ大会陸上走り幅跳び銀メダリスト、山本篤選手(36)が、2020年の東京大会での金メダル獲得に闘志を燃やしている。

   2018年8月25日に行われたイベントで、過去銀メダルを2回獲得したとするも、「金メダルじゃないので。金メダルだったら『満足です』って言うかもしれない」とコメントした。

  • 陸上・山本篤選手(2018年8月撮影)
    陸上・山本篤選手(2018年8月撮影)
  • 陸上・山本篤選手(2018年8月撮影)
  • 陸上・山本篤選手(2018年8月撮影)
  • 車いすテニス・菅野浩二選手(2018年8月撮影)
  • 車いすバスケ・小田島理恵選手(2018年8月撮影)
  • 競技用の車いすは、タイヤが八の字(2018年8月撮影)
  • 競技体験も実施された(2018年8月撮影)
  • 競技体験も実施された(2018年8月撮影)

アテネ出場逃すも北京から3大会連続、平昌冬季大会にも

   山本選手は、パナソニックが8月25日、パナソニックセンター東京(東京都江東区)で開催した「東京2020パラリンピック応援イベント」のトークショーに出席した。これまで、パラリンピック北京大会(2008年)、リオ大会(2016年)の男子走り幅跳びで銀メダルを獲得、さらに平昌冬季大会(2018年)ではスノーボードの日本代表として出場している。

   一方でイベントでは、アテネ大会(2004年)の出場を逃した当時を振り返り、「すごく悔しかった」と語り、こう続けた。

「なんとなくパラリンピックって、すぐ出られるイメージがあったんです。日本記録にも、(競技を)始めて3か月くらいで0.2秒くらいまで近づいたし。1年半くらいで日本記録を取って『楽勝でしょ』と思ってたのが、意外とそうではなくて...」

   挫折を経験したことで、次の北京大会への出場、さらにはメダル獲得への意欲が高まっていったと明かした。その後もトレーニングを重ね、北京大会銀メダルにつなげた。

   記録が伸びずに悩んだ時、自ら身体の動きを研究し、トレーニング方法を考えていると山本選手。研究の成果で、記録は伸び続けており、

「楽しいですよね。研究の結果でいろいろ考えて、こういう方法がいいのかなとか。そのあとに結果が出たら『自分が思ったことが正解だった』と思う」
「面白い。『自分の人体実験』を常にし続けているという感じですね」

と語った。

   東京大会に向けては、「僕自身もそこに出られるように、走り幅跳びの競技では金メダルを取れるように、頑張っていきます」と意気込んだ。

車いすバスケ・小田島選手「生き甲斐ができた」

   トークショーには山本選手のほか、車いすテニスの菅野浩二選手、車いすバスケットボールの小田島理恵選手も登壇した。2人は、仕事と競技を両立する「パラアスリート」だ。

   菅野選手はリクルートに勤務し、週3日を会社の社内報制作業務に、週2日をテニスの練習に充てている。

   高校1年生の時に交通事故に遭い、車いす生活を余儀なくされた。入院先の病院でテニス用の車いすを譲り受け、競技を始めたという。菅野選手が出場するクァードクラス(男女共通上下肢障害)では、手に障害がある選手もおり、「僕は軽い方でそのままラケットを握っているんですが、なかには(握力がなく)テーピングでラケットを縛っている選手や、電動車いすに乗っている選手もいます」と話した。

   同じくリクルート所属の小田島選手は、校閲業務と練習をそれぞれ2日半ずつ行っている。小・中学生の時は「男の子をやっつけるくらい」おてんばで、高校では少林寺拳法部に入部し、最後の大会で全国5位に輝いた。しかし、専門学校在籍時に脊髄を損傷。その後、リハビリステーションで「バスケ体験教室」のチラシを見つけ、楽しそうだと思ってやってみたところ競技に「はまった」のだという。

   車いすバスケは健常者も参加し、障害者と同じ「土俵」で競うことができる。小田島選手は車いすバスケに出会ったことで、自身の障害に対する見方も変わったようだ。

「何気ない毎日を送っていたが、車いすバスケに出会って生き甲斐ができて、パラリンピックを目指すという大きな目標ができて。怪我をしたことがラッキーだなと思えるようにまでなりました」