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「乾物屋」の運命 金田一秀穂さんは日本語からの絶滅を惜しんで豆を煮る

   サライ9月号の「巷のにほん語」で、言語学者の金田一秀穂さんが「乾物屋」を取り上げている。消えゆく言葉として、である。

   小学館のシニア向けマンスリー。話題は旅に美食、住まいや雑貨など、時間と懐に余裕がある中高年がターゲットと思われる。読者層には当然「教養」のニーズもあって、その部分を担う上記コラムは、贅沢にも日本語の権威、金田一家の当主が執筆中だ。毎回一つの言葉を取り上げてウンチクを傾ける趣向で、今号で20回を数える。

   スーパーやコンビニに追いやられるように、個人商店が消えている。金田一さんはそんな商業トレンドを押さえたうえで、話を「我が家のそばの商店街」に落とし込む。ご多分にもれず、一軒の乾物店が消えかけているそうだ。

「ちなみに、学生たちに聞いてみると、乾物屋を知らないという。何を売っているのかわからない。『かんぶつ』というのが見当のつかない物らしい。乾物屋は各町に一軒残っている。たいてい個人商店である。干物や昆布、鰹節などを売っている」

   さて、金田一さんの近所の店である。

「お客が入っているのはほとんど見たことがない...壁に昭和を感じさせるポスターが貼ってある。店主が一人でぼんやり商店街を行きかう人の流れを見ている」
  • 何でもそろうスーパーだが、煮豆の作り方は教えてくれない=東京都内で、冨永撮影
    何でもそろうスーパーだが、煮豆の作り方は教えてくれない=東京都内で、冨永撮影
  • 何でもそろうスーパーだが、煮豆の作り方は教えてくれない=東京都内で、冨永撮影

煮豆が趣味という粋な隠居

   手軽な調味料やインスタント食品の普及も衰退の一因だろう、と推測する金田一さん。この「絶滅危惧店」に救いの手を差し伸べたいと、豆を買いに行く。

「家で煮豆を作ってみたい。時間をかけ、材料に凝って、砂糖をいいように加減して、コトコトとふっくらと、素敵な煮豆を作りたいではないか。これは趣味的で、いかにも隠居臭がして、粋だ」

   言語学者はいよいよ、「数十年、その前を通っていたけれど、生まれて初めて入る」というその店を訪ねる。「新鮮極まりない」。噂によると、店主はかつての慶応ボーイで甲子園にも出ているとか。「なんだかわからないけど、凄いんだよと聞いていた」

   その主人から、日本語の大家は煮豆づくりのイロハを教わったようだ。金時豆から始め、いまはおせち料理の定番、黒豆に挑んでいるという。

   金田一さんは、黒豆を煮るときにはさび付いた釘を一緒に入れるといいと、有名料理研究家(本文では実名)に聞いたことを紹介したうえで、こう結ぶ。

「店主によるとそんなことはないという。どちらが正しいのか、じつはどうでもいいのだ。今のうちに、少し話をしてみたかったのだ」

知識ごと消える店

   流行り廃りの激しい話し言葉と違い、乾物屋のような「伝統名詞」は総じて安定している。危機は、その言葉が指し示す「もの」がなくなる時に訪れる。

   消えた商売は数知れない。たとえば、上記エッセイでも紹介されている鋳掛屋にラオ屋。前者は金物専門の修理サービス、後者はキセルの手入れをする職人だ。どちらも、金田一さんの父君らが編さんした辞書の中で、あるいは落語の世界にて、ひっそり存在している。

   保存食として考え出された乾物は、総じて賞味期間が長く、魚や野菜のように「早く売り切る」という動機が弱い。威勢のいい呼び込みや客寄せとは無縁である。客を静かに待ちながら、乾物全般についての専門知識を磨く店員もいるだろう。金田一さんに対応した店主のように、煮豆のおいしい作り方に通じていても不思議はない。

   そういう関連情報までが、店ごと消えてしまう寂しさ。「今のうちに、少し話をしてみたかった」という金田一さんの感傷は、業種ごと死語になりかけている商売への、言語学者なりの惜別か。上出来の煮豆のように、味がよくしみた、いい話だと思った。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。