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ユーモアやウィットに富む国際政治学の巨人 その警句を今こそ聞きたい

■「高坂正堯―戦後日本と現実主義」(服部龍二著、中公新書)

   評伝に定評のある中公新書に、新たな1冊がこのたび加わった。「日中国交正常化」(中公新書、2011年)や「佐藤栄作」(朝日選書 2017年)などで実績を高く評価されている政治外交史家・服部龍二氏により、この10月に刊行された「高坂正堯―戦後日本と現実主義」である。

   本書の表紙裏書に、この本の意義について、以下のように簡潔に記されている。

「日本における国際政治学の最大の巨人・高坂正堯(1934~96)。中立志向の理想主義が世を覆う60年代初頭、28歳で論壇デビューした高坂は、日米安保体制を容認、勢力均衡という現実主義から日本のあり方を説く。その後の国際政治の動向は彼の主張を裏付け、確固たる地位を築いた。本書は、高坂の主著、歴代首相のブレーンとしての活動を中心に生涯を辿り、戦後日本の知的潮流、政治とアカデミズムとの関係を明らかにする」

「日本の衰退に対する憂慮は予言的ですらある」

   高坂の著作については、このコラムでも、過去に、「海洋国家日本の構想」(2012年11月)、「高坂正堯外交評論集」(2013年11月)、「文明の衰亡するとき」(2016年1月)、「国際政治」(2018年1月)と何度か紹介してきた。服部氏は、「高坂の本が広く読み継がれているのは、平易な文体で内容に深みがあり、歴史や哲学を踏まえた考察がもりこまれているためであろう。その多くは、没後20年以上を経た今日でも色褪せない。安全保障や日米関係を論じただけでなく、中国や歴史問題についても考察している。日本の衰退に対する憂慮は予言的ですらある」という。

   今回、本書を読んで、高坂の著作からはうかがえない、佐藤栄作総理のブレーンとして活躍したことを活写する第3章(佐藤栄作内閣のブレーン―沖縄返還からノーベル平和賞工作へ)、そして、冷戦が終結した1989年(高坂55歳)以降の「戦後日本」への憂慮を深めた時代を描く第6章(冷戦から湾岸戦争へ―「道徳は朽ち果てる」)、第7章(日本は衰亡するかー「人間の責任」)、終章(最期のメッセージ――四つの遺作)が特に印象に残った。

   高坂は、佐藤の「核抜き・本土並み」の沖縄返還を、「弱者」の立場を利用しない、「戦後初めての外交らしい外交」と高く評価していた。政権に深くコミットしたのは佐藤政権のみだという。ただし、佐藤の密使・若泉敬による「核密約」(有事における沖縄への核の持ち込みを認めるもの)については、評者は、その現実の意味を考えれば佐藤への評価を変えたかどうかはわからないと考えるが、服部氏は、高坂は「核密約」自体は知らなかったと思われると慎重に述べるにとどめている。

   1996年5月15日に62歳で癌により早すぎる死を迎えるまでの、高坂「晩年」に関する叙述は、まさに「警世の書」というに相応しい。湾岸戦争後に、その弊害が大きくなったとして、高坂が改憲と集団自衛権の行使に肯定的になったことの意味をあらためてかみしめる。『日本の論点'96』(文藝春秋編)の「迫りくる危機の本質」という論考での、「日本では理想家風の偽善者が力を持ちすぎていて、その結果少しでも責任ある行動をしようとしている人を苦しめている」との警句の紹介には衝撃を受けた。

   1996年4月中旬に、憲法学の権威で知られる同僚の佐藤幸治が高坂邸を訪れ、「お互いやるべきことはまだまだありますね」と佐藤が語ると、「日本はこれからが本当に難しいかもしれないね」と高坂は応えたという。

日本の将来に対する鋭い危機感を持った大きな理由

   湾岸戦争以降の高坂の論考をまとめた「高坂正堯著作集 第三巻 日本存亡のとき」(都市出版 1999年4月)では、寡作だが、卓越した政治学者として知られた故佐藤誠三郎東大教授が解説を担当している。そこで、高坂が日本の将来に対する鋭い危機感を持った大きな理由について、以下のように述べる。

「国際社会と、そこでの日本の地位が大きく変化したこと、それにもかかわらず、日本がまだ貧しい小国、あるいは中進国であった時代から、日本人の意識がいっこうに変わっていないことがあげられる」

   また、高坂の論考に含まれる警句や箴言について、「欧米では、学術的論文や評論に、このような警句を含めることは珍しくない。しかし日本では、それは例外に属する。その理由は、近代日本の知識人が、欧米から学ぶことが急なあまり、自分をふくめた対象への距離感を失い、また日常の生活感情と切り離された形で、欧米産の観念のみを、抽象的なままで、しかも誤解しながら鵜呑みにしたからであろう。ユーモアやウィットは、物事を客観的に眺める距離感の感覚と、知性と生活感情とが接点を持つ場合にのみ生まれるのである。社会科学の分野でさえ、学術論文の日本語と日常生活で使われる日本語とが、多くの場合、別々の言語のように異質であり、その結果学術論文の文章がうるおいに欠けがちなのも、同じ理由による。高坂正堯は、この点でも、日本の知識人の中で例外的存在であった」と高く評価する。ここで、佐藤氏が取り上げた高坂の言葉をいくつか示す。

「人間というものは、答えがないよりは誤っていても答えを与えられることを好むのである」、「人類の歴史は過誤によって動かされることが多く、人間の営みについて合理的に考えすぎること(は)危険である」、「人間が自分のなかの危険な要素を少なくとも、過小評価する傾向がある以上、悪玉をみつけ、悪い結果を彼らのせいにすることは満足のいくことだ」

   Twitterを操り、国民の分断による統治を進める米国大統領の出現を、人生100年時代、いま存命で元気なら84歳の高坂がどのようなユーモアやウィットを持って、警句を用いて論じたか、本書をきっかけに、その早すぎる死をあらためて惜しみながら思いをはせてみたい。

経済官庁 AK

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。