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あなたが言うか 柳家三三さんは101歳医師のマイペースに翻弄されて

   男の隠れ家 2月号の「前略、高座から--。」で、落語家の柳家三三(さんざ)さんが、ひざの治療で出会った老医師との珍妙なやりとりを、面白おかしく再現している。

   三栄書房の中高年向けライフスタイル誌。三三師匠のコラムは50回を数える。

「最近、高座に上がるときに扇子と手拭のほかに持ち物が増えてしまいました」

   冒頭の一文である。扇子と手拭いは落語家必携の小道具だ。では何が増えたのか。それは俗に「あいびき」と呼ばれる補助具だという。正座時に尻にあてがい、膝などの負担を和らげる小さな腰掛。当「コラム遊牧民」の5回目で取り上げた正座イスみたいなものだろう。

   過日、東京からの新幹線を大阪で降りた師匠、左膝に痛みを感じたそうだ。その後2時間の高座は辛く、翌朝帰京すると病院に向かった。普通に歩くにも支障があるほどで、自宅から徒歩5分の整形外科を探し当て、電話予約のうえ赴いたという。

   医院の受付は60代とみられる男性。「もしや先生が受付もしているのか」と思ったが、診察室に入ったら、受付氏が奥に向かって「先生、お願いします」と言う。

「薄暗い奥の一室から『ハイハイ』と、八十代とおぼしき痩身を白衣に包んだ男性が、少々あぶなっかしい足取りで現れました」
  • 高齢化でますます盛んになりそうな整体・整骨サービス=杉並区内で、冨永写す
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「トシだね」の診断

   ここから交わされる三三師匠と医師との会話こそが、この作品のキモである。

   三三「左の膝が痛いんです」先生「ハイ、それじゃ右の膝見せて」...何か理由があるのだろうと師匠は右足を差し出す。しばらくあちこち押した先生「どこも痛くないのかい?」

   三三「はぁ、痛いのは左の膝なんです」先生「じゃあ左足出さなきゃわからないよ」

   三三「...ですよね。はい」...診断は関節炎とのことだった。

   原因を尋ねると、先生は「トシだね」と一言。ちなみに師匠は44歳である。

   先生曰く「正座は一番良くない。もってのほか」。このあと、二人の会話から患者が落語家だと悟った受付氏との脱力したやりとりがひとしきり。

   そして、目の前に落語家がいることには何の興味もないような先生との延長戦である。

   先生「注射するよ、右の膝出して」三三「...あの、左が痛いんです」

   先生「じゃあ左膝出さなきゃ」三三「...ですよね」

「二度目の通院時に知りましたが、おじいちゃん先生は101歳だそうです。知ってりゃ注射断ってたかなぁ」

   帰りがけに先生から念を押されたそうだ。「大事にね、トシなんだから」

文字でも滑稽味を保つ

   これはもう、ほとんど一編の滑稽噺であろう。どこまでが事実で、どこからが創作なのか、そこはどうでもいいくらいに、語り口、いや書きっぷりが冴えている。

   落語を文字に起こしたものは、ふつう面白くもなんともない。名人と呼ばれる噺家になるほど面白くない。雑誌でコラムを連載している落語家さんも結構いるが、大抵は高座の面白さには遠い。ストーリーだけでなく、声色や身ぶり手ぶりを含む総合芸術だから、情報伝達の手段が文字と(せいぜい)挿絵だけ、というハンディは如何ともしがたい。

   その点、三三さんの連載は、文字にした時の「歩留まり」がいい。語りの滑稽味がよく残されている。ご本人の文才か、編集者のさばきが巧いのか、たぶん両方だろう。創作落語の語り手なら「脚本力」があっても不思議ではないが、三三さんは人間国宝、柳家小三治師匠の弟子で、古典落語のホープの一人である。

   老医師とのやりとり、いずれ「死神」あたりのマクラで披露されるかもしれない。

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   三三師匠の連載と同様、この「コラム遊牧民」も節目の50回目です。これまで31誌から50人の作品を採り上げました。何度か使わせていただいた雑誌は、週刊文春と週刊新潮が各5回、週刊朝日とサンデー毎日が各4回、週刊ポストが3回といったところ。

   50回目までは同じ筆者を登場させまい。そんな初志はなんとか達成できました。これもひとえに、職業ライターや著名人が、毎週毎月、せっせと書いてくれるお陰です。

   これほど多くの雑誌が発行されていること自体、遊牧民を始めるまで知りませんでした。まさによりどりみどり、頼もしい限りであります。引き続き、ご愛読を。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。