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さかいゆう、「Yu Are Something」
最後に笑え人生は片道切符...

   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   2000年代に入ってから激減したのが海外レコーディングではないだろうか。

   アメリカでもイギリスでもいい。自分が影響された音楽のルーツや憧れの国に行き、現地のミュージシャンとレコーディングする。そうやって生まれた作品はそこに反映されているそのアーティストやミュージシャンの人生を感じ取るという楽しみもあった。

   少なくなった理由は簡単である。データのやりとりをすれば作れてしまう。事実、海外のミュージシャンが参加しているものの本人同士は会っていないという例も少なくない。

   2019年1月23日に発売されたさかいゆうの5枚目のアルバム「Yu Are Something」はそうではない。ロサンジェルス・ニューヨーク・東京という三つの都市を舞台にして行われたドラマティックなアルバムとなった。

  • 「Yu Are Something」(ユニバーサルミュージック、アマゾンHPより)
    「Yu Are Something」(ユニバーサルミュージック、アマゾンHPより)
  • 「Yu Are Something」(ユニバーサルミュージック、アマゾンHPより)

夢が叶う最初の瞬間を記録

「特にアメリカに行きたかったわけでもないですし、アメリカに追いつこうとも思ってないんです。日本人には日本人にしか作れない音楽もあります。奇跡的に彼らのスケジュールが取れた。だったら行くしかない、とこうなりました」

   彼は筆者が担当するFM NACK5「J-POP TALKIN'」のインタビューでそう言った。

   さかいゆうは、2009年にメジャーデビューしたシンガーソングライター。ソウル・ミュージックやジャズ、R&B、ゴスペルなどを昇華したポップスは洋楽ファンにも支持が高い。

「よく色んな音楽を聴いてこられたんでしょうね、と言われるんですけど、全然そうじゃないんです。一部の音楽しか聴いてない。2、30枚のアルバムをそれぞれ年間100回くらい聴いてる(笑)」

   彼の音楽キャリアはかなり稀有と言って良いだろう。カツオの一本釣りで知られる高知県土佐清水市の出身。音楽を志したのは高校生の時だ。ミュージシャン志望の親友が交通事故で他界。その葬儀で棺を持ちながら彼の遺志を継ぐと決意。20歳で上京、音楽専門学校に通った。そして、22歳の時に単身ロサンジェルスに渡り路上ライブを重ねながら独学でピアノを学んだ。子供の頃から浴びるように音楽を聴くという環境で育ったわけではない。自分がやりたい音楽、やるべき音楽を突き詰めてきたタイプと言って良いだろう。新作「Yu Are Something」は、そんな彼自身の音楽人生そのものと言える作品となっている。

   アルバムは全13曲。1曲目と2曲目がロスで録音された曲だ。3曲目、4曲目、5曲目がニューヨーク録音、6曲目が東京、7曲目、8曲目がニューヨーク、9曲目から東京に舞台が移って行く。それはほぼレコーディングの順だったと言った。アルバムの一曲目「Get it together」について彼は資料用のライナーノーツにこう書いている。

「まさか本当にLAでレコーディングが出来る日が来るとは夢にも思いませんでしたが、実現しました。アメリカでのレコーディング初日のセッション、このアルバムの一曲目に相応しい、夢が叶う最初の瞬間を記録したナンバーです」

「ジョンスコ」らが参加

   どんなミュージシャンが参加しているのか。ロサンジェルスで加わったのがジェイムス・ギャドソン(D)とレイ・パーカーJr(G)。前者は今年80歳。アメリカの老舗音楽雑誌「ローリングストーン」誌が選んだ「史上もっとも偉大な100人のドラマー」の32位。マービン・ゲイ、ダイアナ・ロス、ポール・マッカートニーら参加アルバムは3000枚を超すという伝説の主、後者は80年代の映画「ゴーストバスターズ」の主題歌でも知られているギタリスト、作曲家プロデューサーだ。

   ニューヨークでは彼が「10数年聴き続けてきた」というギタリスト、ジョン・スコフィールド、通称「ジョンスコ」のトリオが共演している。ジャズ史に残る神様的存在、マイルス・デイビスのバンドに属し、グラミー賞のジャズインスツルメンタルアルバム賞も受賞しているジャズ界の巨人である。4曲目「桜の闇のシナトラ」は、彼との演奏を念頭に置いて作られた曲。「ニューヨークに咲く日本の桜」がイメージだと直接伝えて行われたセッションだった。

「最初怪訝な表情でしたけど、僕が先に演奏して見せたら"I know  what you mean."、お前の言ってる意味が分かったよと言ってくれて。後はひたすらいいセッションでしたね。音楽の神様がいました」

   ニューヨークではもう一人、渡米15年。ジャズの名門レーベル、ブルーノートからメジャーデビューしている日本人トランペッター、黒田卓也が参加している曲もある。カリフォルニアの海風を感じさせる1曲目に始まり、摩天楼とアスファルトが見えてくるニューヨーク録音曲、同じアメリカ録音でもこんなに雰囲気が変わるのかというのも現地レコーディングならではだ。

渋谷はマンハッタン

   アルバム「Yu Are Something」が、それでいて単に海外レコーディングアルバムに終わっていないのは、後半に舞台が東京に移ることだろう。6曲目の「So Da Raw」にはラッパーのサイプレス上野、9曲目「Tokyo Loves」には東京のヒップホップの先駆け、Zeebraが参加、舞台が「渋谷」に移って行く。ロスと東京での音をミックスした曲もある。それが今の東京発のポップミュージックだと言っているようだ。

「僕の中では渋谷はマンハッタンなんです。自分を証明しないといけない。高知から上京してきた頃も若かったから、ともかく目立とうとして顰蹙かってました。マンハッタンもそうやって生き残ろうとする人が集まってくる。ジャケットではその両方をイメージしました」

   一枚のアルバムに刻まれた「洋楽と邦楽」、そして「時間と空間」。「東京から公共交通機関で一番遠いとされる土佐清水」(さかい)で音楽に目覚め、独学でここまでたどり着いたシンガーソングライターのメジャーデビュー10年目。アルバムの12曲目はJ-POPの超売れっ子プロデューサー、蔦谷好位置との共作「最後栄光」。歌詞の中の「最後に笑え人生は 片道切符の旅 引き返せない道を突き進んで行け」は、彼自身の生き方そのものだろう。

   彼は、出来上がった時の心境を「助かった、あー、出来た、助かったと思いました」と言った。このアルバムが出来たからここから先も生きていける。

   人生を賭けたアルバムというのはこういう一枚を言うのだと思う。

(タケ)

タケ×モリ プロフィール

タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーテイスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。