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独仏間で揺れたアルザスの、とある日曜日を描く
マスネの組曲第7番「アルザスの風景」

   フランスのドイツ国境近くに、アルザス地方があります。古くから、フランスとドイツの争いに巻き込まれ、ある時期は、ドイツに、ある時期はフランスに帰属、というように、両国間を行ったり来たりした歴史があります。

   現在では第二次大戦の結果、フランス領となっています。日本では「最後の授業」などのエピソードで知られていますが、現地に足を運ぶと、フランスとも、ドイツとも、違う独特の文化・言語があることに気づかされます。

  • ジュール・マスネの肖像
    ジュール・マスネの肖像
  • ジュール・マスネの肖像

明らかにフランス語の土地とは異なる文化圏

   フランスで、ドイツのことを、「アレマン語を話す人々の土地」ということで「アルマーニュ」といいますが、そのアルマン語を話す土地の手前に「アルザス語を話す人々の土地」である「アルザス」がある、といった感覚なのです。つまり、明確に、フランス語の土地とは異なる文化圏で、どちらかというと、ドイツ風な地名が目立ち、ドイツのクリスマスの風物詩ではあるが、フランスではあまり見られない「クリスマスマーケット」もアルザスでは盛んで、世界中から観光客を集めています。

   また、アルザス語は、明確にドイツ語に近く、フランス語とはかなり異なっています。「最後の授業」のエピソードは、明日からドイツになってしまうアルザスの村で、フランス語で最後の授業が行われる・・・というものでしたが、現地の人にしてみると、「フランスからもドイツからも、良いとこ取りをすればよいではないか」というような、アルザス独特の感覚があるように思います。

   今日取り上げる曲は、フランスの作曲家、ジュール・マスネの組曲第7番「アルザスの風景」です。1842年、ロワール地方に生まれ、パリで学んだマスネは、作曲の最高賞ローマ大賞を受賞し、オペラ作曲家として活躍します。19世紀中ごろのフランスでは、オペラが音楽の中心でしたが、マスネは、純粋な管弦楽で「組曲」と名付けたシリーズもコンスタントに作曲してゆきます。組曲シリーズの一番最後の第7番が、「アルザスの風景」と名付けられています。

「平和なアルザス」を願って

   マスネは、1870年普仏戦争が勃発すると、従軍していました。皇帝ナポレオン3世自らが捕虜になるという、いわば「フランスぼろ負け」の戦争で、その結果、アルザス地方は新生ドイツに割譲されてしまいます。つまり、1889年、マスネがこの曲組曲第7番を書いたとき、アルザスはフランスではなかったのです。

   しかし、普仏戦争中、アルザス地方に滞在したマスネは、その時の記憶をもとに、平和なアルザスの日曜日の一日を描きます。曲は4楽章に分かれ、「日曜日の朝」「酒場で」「菩提樹の下で」「日曜日の夕方」とタイトルがつけられています。

   フランスとドイツのはざまで揺れたアルザス地方は、欧州議会が中心都市ストラスブールに置かれたり、と欧州統合の象徴的一面も持ちつつ、しかし他方で、両大国の間で揺れた悲しい歴史もあります。最近でも、テロが起こってクリスマスマーケットが中止されたり、ユダヤ系の人の墓が荒らされたり、という事件が起こりました。

   マスネは、おそらく、「平和なアルザス」を願って、アルザスの民謡を曲に取り入れたりしています。ヨーロッパの十字路といわれたアルザス地方をモチーフにした、心が穏やかになる名曲です。そして、マスネの作品の中でも代表的な作品として、頻繁に演奏されています。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。