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東京めざさない福岡の劇団   
  日韓合作舞台の大評判

   「いつまでも目の敵(かたき)にしてんじゃねえよ。やっぱクソだよな、韓国人は!」

   「侮辱(ぶじょく)してるんですよね」

   「やめて!」

   日本人と韓国人がお互いを罵(ののし)り、怒声が飛び交う舞台。そして激しい言葉の応酬が続く。

   福岡と釜山、日韓の演劇人による「HANARO project」の公演『ナ チャレッチ?』(韓国語で「私、よくやったでしょ?」)の一場面だ。

   釜山公演は2018年10月17日から19日まで海雲台(ヘウンデ)文化会館で。福岡公演は2018年11月1日から4日まで博多にある小劇場「ぽんプラザホール」で行われた。

  • 韓国人が大嫌いな会社員(黒い服)が、韓国人の悪口をいう場面、その理由を聞く日本人の友人たち(写真 HANARO project)
    韓国人が大嫌いな会社員(黒い服)が、韓国人の悪口をいう場面、その理由を聞く日本人の友人たち(写真 HANARO project)
  • 韓国人が大嫌いな会社員(黒い服)が、韓国人の悪口をいう場面、その理由を聞く日本人の友人たち(写真 HANARO project)
  • 「福岡・釜山交流ひろば」を立ち上げた日下部信。公演『ナ チャレッチ?』の観客の反応に、確かな手ごたえを感じた(写真 菊地健志)
  • 緊迫する幕間(まくあい)に福岡と釜山の食べ物を紹介するコーナーがある。似ている料理があると、観客席が和(なご)んだ(写真 HANARO project)
  • 本業は、九州大谷短期大学表現学科教授。「戯曲論」「演劇論」「作家作品研究」などの科目を担当している(写真 菊地健志)
  • 『ナ チャレッチ?』に出演した俳優たち。日本人4名、韓国人4名。3週間の合同稽古で、作品を練り上げた(写真 HANARO project)

素直に理解しあえるヒント

   韓国人の夫ドンヒョンと日本人の妻シオリは、二人の夢だったカフェを釜山でオープンする。その前日、シオリを女子高時代に苛(いじ)めていた旧友のミサキが現れる。

   夫は、妻を苛めていたミサキに謝罪を求める。ミサキは謝罪の言葉を口にする。しかし、誠意のない謝り方に夫が怒りをあらわにする。

   一見こじれた人間関係がぶつかりあうドラマだ。しかし、随所に対立する日韓の歴史問題を想像させるセリフがあり、現在の両国の関係が浮かび上る構成になっている。日本人と韓国人がどうしたら素直に理解し合えるのか、そんなヒントも示唆されている。

   福岡公演の『ナ チャレッチ?』では、舞台上のモニターに韓国語のセリフの日本語字幕が表示され、韓国語を知らない人にも伝わるように工夫されていた。

   プロジェクトを企画したのは「福岡・釜山交流ひろば」代表の九州大谷短期大学表現学科の日下部信(くさかべ・しん)教授(46 )だ。公演に先立ち、公益財団法人韓昌祐・哲(ハンチャンウ・テツ)文化財団から助成を受けた。

   公演が福岡と釜山両方の劇場にまたがるため、助成金は演出、脚本の費用や、日韓両国の俳優、演出家、スタッフの移動経費、制作費などに用いられた。

   プロジェクトは2014年に始まり、2018年で5回目。最初は、日韓の劇団が相手国の戯曲を演じることから始まった。2年目と3年目は同一戯曲をそれぞれの母国語で創作し、福岡と釜山で公演した。

   2017年は、第一幕を釜山チーム、第二幕を福岡チームが創作し、第三幕は釜山での合同稽古で作り上げた。

   そして2018年は初の合同制作として、脚本を日本側(幸田真洋)が手がけ、韓国側が演出(パク・ジョンウ)を担当した。

   福岡の俳優4人が釜山に渡り、3週間におよぶ日韓合同稽古を行った。回を重ねるごとに新しい創作手法を試み、日韓の演劇交流の実績を積み上げてきたのだ。

「歴史問題」への踏みこみに心配もあったが

   プロジェクトが5周年の節目を迎えた2018年。笑いのツボは福岡と釜山の舞台で異なるのだが、観客の反応はとても良かった。

   「このまま続けていけば、『HANARO project』はうまく行くだろうと希望の持てる反応でしたね」

   福岡公演の2日前、10月30日に韓国大法院(最高裁)が、韓国人元徴用工への損害賠償を認め、大きなニュースになった。従軍慰安婦問題や竹島(韓国では独島)の領土問題でこじれてきた日韓関係が、さらに悪化しそうな懸念があった。

   それだけに『ナ チャレッチ?』の成功は、意義深かった。日韓両国とも格差社会が定着して、自尊心を持てない人々が増え、ナショナリズムが不満のはけ口になっている。両国の対立の背景を、九州戯曲賞受賞者の脚本家幸田真洋と演出家パク・ジョンウが描き出した。

   「歴史問題に踏み込んだのは、今回の公演が初めてだったので、日韓の演劇関係者が大丈夫だろうか、と恐れていた点もあったのですが、冷静に進められました」

   日下部は、西南学院大学時代に、劇団「轍(わだち)」を立ち上げ、劇団代表として脚本・演出を手がけた。卒業後も福岡市を拠点に演劇活動を続けていたが、30代を迎え演劇活動自体が壁に直面していた。

   「これから何ができるかと考えた時、いろいろな形で目に入ってきた韓国とのつながりや交流を、演劇を通してやりたいと思ったんですね」

   当時、韓国のテレビドラマ『冬のソナタ』が日本で大ヒットし、韓流ドラマが一大ブームを巻き起こしていた。

   2002年にはサッカーのW杯日韓共同開催があり、韓国への関心は高まっていた。友人や劇団員の中に在日コリアンの人たちがいて、韓国との関係は身近なことに感じられた。

   また福岡県出身の劇作家つかこうへいや、俳優でボードヴィリアンのマルセ太郎から強い影響を受けていた。二人とも在日2世で、在日の問題が彼らの表現の根っこにあることを知った。

4人採用に30人以上が応募

   日下部が、「HANARO project」を企画するきっかけには、釜山出身の舞台演出家で、俳優トレーナーの金世一(キム・セイル)との出会いがあった。それは2013年2月だった。

   そのころ日下部は日本の演劇の在り方に疑問を持つようになっていた。それは多くの劇団が活動の舞台として東京を目指すことだった。東京でなく九州・福岡でできる演劇はないのか。こだわりを持つようになっていた。

   そんな時、金世一から、韓国の演劇も役者はみな首都ソウルに行きたがるという話を聞いた。

   「地方に残った役者は、オレたちはダメなのだろうか。負け組なんだろうか、と考えるというのです。それを聞いて悩みは同じなんだと思いました」

   日下部は、芝居の内容についても、三井三池炭鉱の歴史資料を読み込んでから脚本を書くなど、硬派な芝居作りをしてきたという。

   「その時も、安価な労働力として囚人に課せられた囚人労働や戦時下に動員させられた朝鮮人徴用工が出てくるわけです。福岡で演劇を続けていくなら、こういう歴史的事実が目に入ってくるのだから、一度韓国に行って、現地の人たちと交流するべきだろうと思いました」

   福岡と釜山の劇団に共通の課題があることを知った日下部は、福岡と釜山の間で「演劇」を軸にした文化交流の促進を目的とした、「福岡・釜山交流ひろば」を2013年6月に立ち上げた。

   金世一によるワークショップを皮切りに、韓国から劇団を福岡市に招聘し、『アリラン』の公演を行った。そしてそれらが、2014年の第1回「HANARO project」開催へとつながっていく。

   言語も文化も異なる日本と韓国。稽古や演出、公演を合同でやってみて、韓国側の演技や脚本、芝居に対する理解の仕方など、レベルの高さには驚いたという。

   大きな理由の一つは、韓国の演劇教育にあると見る。

   韓国には演劇を学べる学科のある大学が約60大学ある。それにくらべ、日本の大学は韓国の5分の1程度に過ぎない。これを人口比にすると、演劇を学べる大学数は日本の約10倍になるという。

   「4年間しっかり演劇学を学ぶことで知的財産が担保されているのだと思います。韓国舞踊もそうです。文化を途絶えさせないために大学教育があるという感じです」

   そうした韓国の劇団との合同制作によって、日本の俳優たちもレベルの高い韓国の劇団員に強い刺激を受ける。

   「HANARO project」で4人しか採用しないところに30人以上が応募してきた。若い俳優たちは相手国の言葉は喋れなくても、スマートフォンの翻訳機能を利用すればコミュニケーションがとれる。芝居作りにとって言語の違いは壁にならなかったという。

   日韓の劇団員による完全合作がもたらした成果は確かなもので、公益財団法人韓昌祐・哲文化財団の助成はプロジェクトの実施に大きな役割を果たしたと話す。

   「今後、われわれの予想を超えた演劇の文化交流が生まれるんじゃないか、そんな気がしますね」

   日下部は、「HANARO project」に確かな手ごたえを感じている。(敬称略)

(ノンフィクションライター 高瀬 毅)

公益財団法人韓昌祐・哲文化財団のプロフィール

1990年、日本と韓国の将来を見据え、日韓の友好関係を促進する目的で(株)マルハン代表取締役会長の韓昌祐(ハンチャンウ)氏が前身の(財)韓国文化研究振興財団を設立、理事長に就任した。その後、助成対象分野を広げるために2005年に(財)韓哲(ハンテツ)文化財団に名称を変更。2012年、内閣府から公益財団法人の認定をうけ、公益財団法人韓昌祐・哲(ハンチャンウ・テツ)文化財団に移行した。