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ひとりの時間 川上未映子さんは、言語ではなく記憶と戯れる機会とみる

   &プレミアム8月号の特集「ひとりの時間は、大切です。」に、作家の川上未映子さんが談話を寄せている。ひとりの時間、それは「言語からは遠く、記憶に近いもの」だと。

   クロワッサン(マガジンハウス)から派生した女性向けライフスタイル誌。アラフォー中心の年齢層に、よりよい暮らしにつながる情報を提供している。

「ひとりの時間は、人間にとって大切という以上に必要なもの。というのも、人は誰かといると言葉など何かを出し入れしていますが、サービス精神のようなものが働いてテンションが上がり、思っていることと口から出る言葉がずれていってしまう」

   ふむふむ。川上さんは、そのズレを修正して元の状態に戻す作業が必要だと説く。

「ひとりになるのは、波立った水面を真っすぐにする時間。それがないと次にまた水面を揺らせないし、自分の中から何かを出し入れできないんです」

   川上さんは最近、ヨガを始めたらしい。雑念を払って呼吸だけに集中するのは楽ではないが、身体を追い込むことで「しんどくて考えが及ばなくなる一瞬」が訪れるそうだ。思考の真空地帯...それが、真の意味でひとりの時間と呼べるものだという。

   また、仕事や子育てとは離れた人間関係や空間に身を置くことで、ひとりの時間が現れることもある。たとえば、思い出の場所を訪れた時の心持ちだ。

「誰とも共有できない自分だけの時間。それは自分しか知らない感覚や記憶にアクセスするのと似ていて、言語化できないものに触れ、その体験を取り戻すような感じ...」
  • 年を重ねるとひとりぼっちは怖くなくなる
    年を重ねるとひとりぼっちは怖くなくなる
  • 年を重ねるとひとりぼっちは怖くなくなる

「ひとり」は怖くない

   思い出の場所、その時の光の質感や匂いを「再体験」する瞬間に、ひとりの時間が現れる。

「私たちは、孤独を特殊な状況だと思いがちです...若い頃やSNS時代の今は承認欲求が強く、ひとりぼっちが恥ずかしいだとか、他人の目が気になるけれど、年を重ねると怖くなくなります」

   そして、大事なのは「他人に評価されない自分だけの領域を持つこと」だという。

「ひとりの時間は、記憶の中に見つける一瞬かもしれないし、人生のエピファニー(突然のひらめき、悟り=冨永注)の瞬間かもしれない...それはおそらく宗教的な体験と関係していて、その瞬間を増やそうとして、人は瞑想や座禅をするんじゃないでしょうか」

   終盤は抽象論に傾き、やや難解になるが、これが彼女の実感なのだろう。

   川上さんによれば、そんなエピファニーの瞬間、つまり極めつけのひとりの時間を言葉にしようとする人たちを、詩人と呼ぶ。

「だから、ひとりの時間は、詩の瞬間ともいえると思います」

作家は孤独の専門家

〈もともと小説家になるというのは孤独の専門家になるようなもんですけれど...〉

   こう言い放ったのは、今年で没後30年となる開高健である。

   大作家から私のような者まで、およそ物書きは独りでいることが多い。向かい合う相手といえば、かつては原稿用紙、いまはパソコンという人が多いだろうか。いずれにしても、ほぼ四六時中「ひとりの時間」である。

   開高と同じ芥川賞作家の川上さんも、孤独についての考察を自身の実感から紡ぎ出しているようだ。なにしろ、1枚の写真や本の1行からひとりの時間が立ち現れる、というのである。興味深いのは「齢を重ねると孤独は怖くなくなる」という一節だ。

   半世紀以上も前、ヨットで太平洋を単独横断した堀江謙一さんは、94日間の冒険をこう総括した。〈孤立と違い、孤独は慣れるものらしい〉...天声人語にも拝借した名言だ。

   孤独に過ごす「ひとりの時間」は特殊でも異常でもなく、生き続けるための営みであり、だからこそ言語ではなく、記憶と戯れようという川上さん。いわば、精神的な睡眠のススメとでも言えようか。

   誰かと24時間つながっていたい寂しがり屋が増えているようなので、私も改めて強調しておきたい。コミュニケーションだけが人生ではないと。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。