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渡辺美里、新作「ID」
「私の身分証明書は歌・声」

   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   "周年の重み"というのは男性よりも女性の方にこそ当てはまる言葉なのだと思う。

   今も昔も日本の音楽業界には"若さ信仰"が根強く残っている。"旬"とは年齢的な若さとイコールで語られることも少なくない。

   それが女性にとって"現役性"を持ち続けることのハードルの高さにもつながっている。

   2019年8月7日発売の渡辺美里の新作アルバム「ID」は、そんな既成概念に収まらない瑞々しいアルバムだった。

  • 「ID」(ERJ、初回生産限定盤/アマゾンサイトより)
    「ID」(ERJ、初回生産限定盤/アマゾンサイトより)
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ロックが定着した時代のヒロイン

   デビュー35周年記念アルバムである。

   彼女は、筆者が担当しているFM NACK5のインタビュー番組「J-POP TALKIN'」(2019年8月3日・10日放送)でこう言った。

   「生涯青春というのももちろん素敵なことだけど、自分たちが生きて来たこと、積み重ねてきた時間をふんわりとちゃんと見つめるのが必要な年代でもあるなと。決して守りに入らないで、攻めのアルバムが出来たと思います」

   渡辺美里は、1985年、シングル「I'm Free」でデビューした。その時は18歳。高校の卒業式の帰りに事務所の社長に「拉致されるかのように」スタジオに入ってレコーディングしたというエピソードは有名だ。86年、4枚目のシングル「My Revolution」が爆発的なヒットとなり一躍ブレイク。その年の夏から2005年まで20年間連続して西武球場のワンマンライブを行った。初めて見たライブが渡辺美里という若者は多かったのではないだろうか。函館の高校を卒業、1990年に上京してきたGLAYのTAKUROが初めて見たスタジアムコンサートが彼女の西武球場だったことも知られている。

   ライブだけではない。やはり86年のアルバム「Lovin' you」から93年の「BIG WAVE」まで7作のアルバムが連続してアルバムチャート一位を記録している。

   シングル盤のヒットとテレビが主体というそれまでの女性アイドルとは全く違う活動は、松任谷由実や中島みゆきなどの先輩女性シンガーソングライターとは違う、女性アーティストの新しい姿を見せてくれた。

   すでに何度か書いているように、70年代と80年代では、若者の音楽環境が激変した。

   それまではアンダーグラウンドな音楽だったロックが若者の音楽として定着、広がって行った。普通の女子中高生がバンドを組んで文化祭で演奏する。学校の先生がそれを奨励する。それまでは考えられなかった状況が出現した。

   渡辺美里は、そんな新しい時代の最大のヒロインだった。

外連味のない真っすぐな言葉

   新作アルバムは、30周年の区切りの年だった2015年の「Ordinary Life」以来4年4か月ぶりだ。プロデューサーの佐橋佳幸を中心に若い世代のシンガーソングライターや作家が参加したアルバムは、いくつもの時代を潜り抜けてきた彼女が「日常の愛おしさ」を再確認しているようなアルバムだった。

   「あの時は、佐橋君が『美里の30周年をお祝いしようよ』って集めてくれた人たちと一緒に作り上げたんですけど、まだ35周年、40周年のことは想像していなかった。そこから自分はこの先、どこに進むのか、と思ってそこに突き進んでいったのがこのアルバムです」

   彼女は、今回のアルバムの発端に、前作の後に行われた全都道府県ツアーをあげた。若い頃に東京などの都会で暮らして彼女のライブに足を運んでいた人たちが、地元に帰って日々の暮らしを営んでいる。そういう人たちが今の年齢でライブに参加してくれた。そのことへの感謝の気持ちを表したのが、2017年のシングル「ボクはここに」だった。「夏は あといくつある」「まだ 僕はここに そして今 君はどこに」と歌われるその曲のことは、当時、この欄に書いた記憶がある。

   新作アルバム「ID」の一曲目は、ギターとオルガンが60年代のロックンロールの快感そのものの「Ready Steady Go!」。エネルギーに満ちた演奏に乗って最初に歌われるのが「きっと人生はあっという間 うつむいている時間はないよ」だ。「変わることを恐れないで 何べんだってスタート出来る」「ありたっけの愛をこめて今日を叫ぼう」と何かが吹っ切れたような外連味のない真っすぐな言葉が繰り出される。

   「孤独と引き換えに 手に入れた自由に 涙が出るのは何故」「言葉よ 今 翼になれ」「心よ今 自由になれ」(「夢中で走れ!」)「どんなにどんなに望んでも 情熱は戻らない それでも夢見ずいられない」(「それでも夢見ずいられない」)

   もう若くない、夢見ることだけでは済まない、限りある日々の中で置き忘れてきた祈りや、消えることのない痛み。そのことを自覚しつつ、そこから新しい一歩を踏み出そうとする。どの曲にもそんな「今」が歌われている。

新しいミュージシャンの登竜門

   彼女のアルバムは、いつの時代も新しい作家やミュージシャンの登竜門でもあった。小室哲哉、岡村靖幸、佐橋佳幸らはいずれも彼女の曲やツアーで注目、評価されてきた。

   今回のアルバムには「Ready Steady Go!」にはシアターブルックのギタリスト、タイジ、「IT'S ALL RIGHT!」にはCHABOなどのベテラン勢も参加している。彼女のツアーバンドのリーダー、奥野真哉は、ソウル・フラワー・ユニオンのキーボーディスト、Superflyの曲で知られる多保孝一、いきものがかりでおなじみの本間昭光らもプロデュースと演奏でアルバムを支えている。かつては、10代の若者たちの応援歌だったロックンロールを軸にした年輪や幅が印象的だ。

   「奥野さんは、一緒にツアーをやってきた風味が出てますよね。そこに35年やっていた意味がある。それぞれの作家やミュージシャンのロック像が一つになっている。ロック・シンガーとは言っても言わなくてもいい。それぞれの幹があって枝がある。ロックは男の子のもの、と言われていた時代からライブを重ねてきた。わざわざロックと言わなくてもカッコ良ければいいじゃん、という形になったと思います」

   アルバムの最後は、彼女の盟友であり先輩の大江千里が詞曲を書いた「すきのその先へ」で締めくくられている。

   彼が曲を書いて彼女が詞を付けた89年のシングル「すき」の続編。30年前の「君」に対しての「すき」という感情が今、どんな風に残っているのか。生き続けているものと思い出すこと。そして、今だから伝えたいこと。時を重ね、残された時間が多くないことを知ったからこそ思う「大好き」という気持ち――。

   アルバムの中にタイトルの「ID」という言葉はない。作家の多保孝一と作詞家の川村結花にデモテープを渡した時、彼らが口にした「デモテープの"ららら"の声だけで美里の曲になってる」と言われたことが発端だった。「私の身分証明は歌、声なんだと再認識した」という意味がある。

   8月31日の栃木県教育会館から「35th Anniversary Live Love life Sweet Emotion Tour 2019~2020」がスタート。「身分証明書は歌」。新しい「ID」を携えて、来年の35周年に向けての新しい旅が幕を開ける。

(タケ)

タケ×モリ プロフィール

タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーテイスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。