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琉球王国の交易は「日明貿易」よりダイナミックだった

■『アジアのなかの琉球王国』(著・高良倉吉 吉川弘文館)

   昨年秋、首里城が燃えた。焼失した建物自体は平成に入ってから完成した復元建築物だが、炎上した映像の衝撃とともに、沖縄の人々が、沖縄県民のアイデンティティーと評し、深い悲しみと寄付など再建に向けた動きをしているのを見て、特別な建築物であったことを改めて感じた。そのような中で手に取ったのが本書である。1998年のちょっと古い本ではあるが、著者は、琉球史の第一人者であり、今回の首里城再建の技術検討委員会の委員長を務めている。

明帝国から得た「特権的地位」

   本書は、琉球の全体の歴史を述べているものではなく、中国(明)、日本、東南アジアの東シナ海世界において、中継貿易の一大拠点として琉球王国が繁栄した時代に焦点を当てて、紀行文も交えながら、琉球史を概観する入門書となっている。本書によれば、14世紀の沖縄は、「中山」、「山北」、「山南」の三山と称される勢力が群雄割拠を繰り広げていた。15世紀に入り、山南に拠点を置く勢力が中山の覇権を手中にし、山北も攻め滅ぼして、琉球王国の統一を成し遂げる。琉球国中山王となった尚巴志は、同じころに中国大陸において元から覇権を奪った明帝国に使者を送って、冊封体制に入り、特別な地位を得て、中継貿易を推進する。

   中国の冊封体制に入ったこと自体は、同時期に室町幕府を含め東南アジア諸国も入っており、当時のアジアの国際政治体制の中では特筆すべき点ではなかろう。特別な地位は、いわゆる鎖国政策(海禁政策)をとっていた明帝国が、(1)琉球王国の冊封使の受入港を海洋交易の中心地である福建省の福州に置いた点、(2)琉球国に他国より圧倒的に多い進貢回数を認め、活発な交易が行われた点、にあるとする。これにより琉球国が確保できた中国の物産は国内の需要を優に超えるものであり、貿易が禁止されていた中国人に代わり、貴重な中国の物産を扱って、日本を含めアジア諸国と中継交易で栄えたというのである。著者によると、この特権的地位は、明帝国が元の残存勢力と対抗する際に不可欠な馬を供給していたことによるとする。その際、大型船の供給や技術支援まで受けていたというのである。

繁栄の時代を象徴した首里城

   自分が教科書で習った足利義満の日明貿易より、遥かに大規模かつ継続的に交易が国営事業として行われ、おそらく莫大な利益を生んでいたはずである。この国営事業の司令塔であり、華やかなりし繁栄の時代を象徴するのが、首里城である。この首里城に掲げられていたという梵鐘が紹介されている。「万国津梁(しんりょう)の鐘」。この鐘には「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を集め、大明を以て補車となし、日域を以て唇歯となす。此の二の中間に在りて、湧出する蓬莱島なり。舟楫を以て万国の津梁となし、異産・至宝は十方刹に充満せり」と記されている。

   恥ずかしながら、琉球史はほとんど無知であった。日本史上も、室町時代から戦国時代にかけての国際関係は、倭寇を含め、不明な点や過小評価している面も多く、また、琉球国の存在も大きい。これを契機に、アジア史の中で、日本そして琉球が果たしてきた役割に関心をもっていきたいと思わせる一冊である。現在の沖縄県を巡る諸課題にも新たな視点を提供してくれるとも思う。

経済官庁 吉右衛門