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復活ソフトボールで再び頂点へ 最強打者・山田恵里がチームを導く【特集・目指せ!東京2020】

   2008年の北京五輪で金メダルに輝いた、ソフトボール女子日本代表の山田恵里選手(日立製作所)。卓越した打撃センスで「女イチロー」と呼ばれ、主将として優勝チームを引っ張った。

   あれから12年。今夏開催予定だった東京五輪は、新型コロナウイルスの影響で1年延期となった。それでも大舞台を知るベテランは、応援を力に変えて再び頂点を目指す。(聞き手はJ-CASTトレンド編集部・藤原綾香)

  • 2020東京五輪にチームの主将として挑む山田恵里選手(写真提供:日立製作所)
    2020東京五輪にチームの主将として挑む山田恵里選手(写真提供:日立製作所)
  • 2020東京五輪にチームの主将として挑む山田恵里選手(写真提供:日立製作所)
  • 2018年には前人未到のリーグ通算400安打を達成(写真提供:日立製作所)
  • 外野手として活躍(写真提供:日立製作所)
  • 卓越した打撃センスで「女イチロー」と呼ばれる(写真提供:日立製作所)

五輪1年延期「プラスだと受け止めています」

――東京五輪延期を受け、今どんな思いで日々を過ごしているのでしょうか。

山田 本来(2020年開催)であれば不安を抱えたまま五輪を迎えていたと思うので、準備期間が長くなったことはプラスだと受け止めています。本番に向け、フィジカル面では下半身強化のトレーニングを、メンタル面では自分自身と向き合う時間を増やしています。

――「不安」の原因とは。

山田 昨年、色々と考えすぎてしまい思ったように成績を出せなかったことです。その反省を踏まえ、「決めたことは、やり切る」というテーマを掲げて今年、そして来年に成果を繋げていけば、結果は変わっていくかなと考えています。

――五輪にかける強い気持ちが伝わってきます。北京五輪後、ソフトボールは五輪競技から消えました。

山田 はい。目標を見失って気持ちが入らなくなり、燃え尽き症候群に陥りました。正直、ソフトボールをやめようかなとも思いましたね。でも応援してくれる人、支えてくれる人たちに「恩返しをしたい」という気持ちや、ソフトボールに打ち込めることへの感謝を原動力に、競技を続けています。

「女イチロー」と呼ばれることは

――東京五輪でも金に期待がかかっています。このプレッシャーをどう克服しますか。

山田 毎日の準備で自信を付けること、そして「応援は味方」だと受け止めて本番に臨むことでしょうか。2018年に行われた「世界女子ソフトボール選手権大会」で、たくさんの人が見に来てくれたことをプレッシャーに感じてしまい、結果が出せなかった経験があります。「結果を出さなきゃ」、「声援に応えなきゃ」と焦ってしまい、自分のベストパフォーマンスを発揮できませんでした。気持ちのバランスを取ることが大切ですね。

――「自国開催」という点も、精神面に大きな影響を与えそうですね。

山田 そうですね。年齢もベテランの域に来ているので、背負っていかなければならないものもあり・・・。過去の五輪とは向き合い方が変わって、単に「結果を出せばいい」という立場ではなくなってきています。自分の全力を出し、応援も味方に付けて望む結果に繋げたいと考えています。

――日本のファンに、どこが見どころだと伝えたいですか。

山田 ソフトボールは1つの試合の中で結果が出る人もいれば出ない人もいますが、お互いがカバーし合うことで勝利をつかめる団体競技です。一つの目標に向け、全員が同じ気持ちを持って支え合いながらプレーする姿に注目してもらいたいです。

――ご自身が「女イチロー」と呼ばれることは、どう感じていますか。

山田 嬉しいんですけど・・・そんなんじゃないのになあと(笑)。確か、北京五輪の前くらいからそう呼ばれるようになったのかな。当時から「すごい人と一緒にされて申し訳ない」と思っていますが、私は日頃から「人と同じことをしていたら、人より上に行けない。人と違うことをしたい」と強く感じているので、イチローさんが人と違う考え方をしながら競技に取り組む姿勢に共感します。
ただ先ほどもお話ししたようにソフトボールは団体競技なので、協調性も大事にしながら「誰よりもやる」覚悟で試合に臨みたいです。


山田恵里(やまだ・えり)
1984年3月8日生まれ。2008年北京五輪ソフトボール金メダリスト。リーグ通算安打は歴代1位であり、2018年にはリーグ通算400安打、19年には通算200打点を達成。数々の個人タイトルをもつ名バッターとして知られ、東京五輪はチームを引っ張る主将として金メダル獲得を目指す。日立製作所ソフトボール部所属。