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矢沢永吉「STANDARD~ザ・バラードベスト」
時を超えたメロディーの普遍性

   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   「バラード」」と言われて思い浮かべるのはどういう音楽だろうか。

   好きな人、愛する人への気持ちを切々と歌い上げた歌。傷ついた心を包み込んで癒してくれるような優しさに溢れた歌。曲調でいえばストリングスが情感たっぷりに盛り上げてくれるスケールの大きな曲、ということになるだろう。

   2020年10月21日に発売になった矢沢永吉の「STANDARD~ザ・バラードベスト」は、そうした音楽の先入観を変えるアルバムなのではないだろうか。

  • 「STANDARD~ザ・バラードベスト」(GARURU RECORDS、アマゾンサイトより)
    「STANDARD~ザ・バラードベスト」(GARURU RECORDS、アマゾンサイトより)
  • 「STANDARD~ザ・バラードベスト」(GARURU RECORDS、アマゾンサイトより)

18歳に書いた曲を51年後に聴かせる

   矢沢永吉は1949年9月生まれ。今年71歳になった。去年の9月に発売したオリジナルアルバム「いつか、その日が来る日まで」は、アルバムチャート一位。それまで小田和正が持っていた最年長アルバムチャート一位の記録を更新。名実ともに国民的ロックスターになった。

   彼がそうした位置に上り詰めたのはこれが初めてではない。化粧品会社のCMソングで大ヒットした「時間よとまれ」が発売された1978年、彼は当時の芸能人長者番付の一位になっている。ロック系アーティストで初めての後楽園球場ライブを成功させた年であり、自伝「成りあがり」がベストセラーになるという年でもあった。それまでお茶の間とは無縁だったロックが世間的にも認知された年で、その最大の功労者だった。

   ただ、その時の彼はあくまで「ロックの永ちゃん」だった。髪をポマードで固めたリーゼント姿で汗と唾を飛ばしながら叫び、マイクスダンドを鷲掴みしながら蹴り上げるという身体を張ったパフォーマンスは群を抜いていたばかりか前例もない激しさだった。

   矢沢永吉がデビューしたのは、1972年。ロックバンド、キャロルのリーダーとしてだ。被爆都市・広島で生まれ、極貧の中で過ごしていた思春期にビートルズに出会って音楽に目覚め、高校を卒業すると同時に卒業証書を破り捨てて夜行列車で上京。横浜で降りて住み込みのバイトをしながらバンド活動を始めるという経緯は「成りあがり」の中で饒舌に語られている。キャロルの革ジャン、リーゼントのオールディーズ風ロックンロールは、その後の日本のアーティストにも大きな影響を与えている。具体的に言えば、福岡の藤井フミヤや群馬の氷室京介、仙台の大友康平などだ。彼らがバンドを組むきっかけになったのがキャロルだった。

   とはいえ、キャロルの活動は実質2年半。75年4月には日比谷野音で解散した。

   矢沢永吉のソロデビューアルバムのタイトルになった「アイ・ラヴ・ユー,OK」は、彼が高校生の時に書いた曲だ。キャロル以前から書き溜めてあった曲を持ってアルバムのレコーディングのためにロサンジェルスに向かったのは解散の翌月だった。

   「STANDARD~ザ・バラードベスト」には、69歳を記念した2018年の東京ドームの「アニバーサリー・ライブ」での「アイ・ラヴ・ユー,OK」が収められている。18歳で書いた曲を51年後の歌で聞かせる。

   原点とも言えるメロディーの普遍性。まさに時を超えた「STANDARD」。今回のアルバムの意味を強く感じさせた。

収録39曲に時代のばらつきが感じられない

   「STANDARD~ザ・バラードベスト」は、3枚組、全39曲。年代も収録アルバムもとらわれずに選曲されている。

   彼は、筆者が担当しているFM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」で、いま、なぜバラードアルバムなのか、という質問に「以前出した『ALL TIME BEST』がアルバムチャートの一位になった。CDが売れない時代にこんなうれしいことはなかった。今まで矢沢のことを知らなかった人たちが買ってくれたんだと思う。それならバラードだけのアルバムも聞いてもらえるのではないかと思った」と話していた。選曲もリサーチ会社に依頼して、コアなファンではない人たちに聞いてもらった結果を参考にしているそうだ。

   彼のこれまでのアルバムには、全体の印象がどんなに激しいものでも一曲はバラードが入っている。アップテンポなロックに主役を譲っていたそれらの曲が並ぶことで、これまでになかった面をじっくりと味わえるアルバムになっている。

   アルバムの特徴はそれだけではない。

   何よりも「音」について触れなければいけない。最初に聞いたときの印象の一つが「音の良さ」だった。

   ロックやポップスには「時代の音」がある。レコーディングの機材やスタジオの環境、デジタルな技術の変化などで「流行りの音」が誕生する。「STANDARD~ザ・バラードベスト」には、そうした時代のばらつきを感じさせなかった。それぞれの楽器の音や歌がクリーンに聞こえる。彼は「39曲すべてに何らかの手が加えられている」と言った。

   矢沢永吉の功績は、ロックをお茶の間に浸透させたことだけではない。70年代の最後に日本の音楽シーンの頂点に立った後、彼はそれまでのチームを解散、アメリカに渡った。

   その最大の動機は「洋楽に肩を並べるロック」のためだ。なぜ日本のロックアルバムは洋楽に比べて音が貧弱なのか。彼は、ロサンジェルスを拠点に人脈を広げ、ドウービー・ブラザースやリトル・フィートなどアメリカ西海岸のバンドのメンバーやシンガーソングライターとの交流を深め、アルバムを制作、共に日本でのツアーを行った。

   70年代から80年代にアメリカ西海岸で始まったAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)と呼ばれた大人向けの上質なロックを現場で体験していたのが彼だった。

   今、この時代に自分の音楽をどんな音で聞いてもらうか。

   音だけではない。彼が役者としても出演していた90年代のテレビドラマ「アリよさらば」のテーマ「いつの日か」は、キーを下げて歌い直されている。彼は、同番組の中で「なんであんなに高いキーで歌ったんだろう。ともかくポール・マッカートニーみたいに歌いたかったんだろうね」と言った。今の自分の心境、年齢なりの歌。39曲の中には、オリジナルではなく、その後に歌い直されたものも多い。39曲のうち、半数以上が40代・50代にレコーディングされた曲というのも聴き所の一つだ。

メロディーと歌がリズムを連れてくる

   矢沢永吉の「バラード」は、一般的なイメージとは相当に違う、と書いた。

   何よりも違うのは「歌の情感」だろう。

   身体が自然に踊りだしそうな激しいアップテンポこそないもののリズムがある。メロディーと歌がリズムを連れてくる。バラードだから静かにという「決まり事」で歌っているわけではない。感情が自分で書いたメロディーに乗り移り、それが歌になる。

   「会いたい」「好きだ」「悔しい」「哀しい」「切ない」などの感情の狂おしいばかりの張り裂けそうな切迫感。年齢を重ねたからこそわかってくる「虚しさ」や「やるせなさ」。言葉にならない複雑な感情が声になり歌になる。

   こんなに「ロック」を感じさせる「バラード」を歌える人は他にいないだろう。

   去年のアルバム「いつか、その日が来る日まで」の「その日」は、その人によって思い描くことは違うのかもしれない。

   でも、誰にでも「その日」はやってくる。

   そのことを知ったから歌える歌がある。

   STANDARD~ザ・バラードベスト」は、そういうアルバムだと思う。

(タケ)

 

タケ×モリ プロフィール
タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーティスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。