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宇宙の波動と和音が地球を包みこむ

■「宇宙の音楽」を聴く 指揮者の思考法(著・伊藤玲阿奈 光文社新書)

   著者は20歳の時に指揮者を天職に選び29歳の時にニューヨークでデビューした。クラシック音楽の理論は西洋近代の産物だが、古代では複数の文明において宇宙の音楽が信仰されていた。指揮者の自分を磨く中で宇宙の音楽、その波動と和音を聴くために老荘思想やインドの宇宙論を学ぶことが大切だと気づく。東洋の発想と近代西洋の合理的思考法を組み合わせることが、これからの私たちに必須だと示唆してくれる。

近代合理主義は、哲学と芸術を枝分かれさせた

   音楽は姿かたちがないのに人間の心を動かす。アメリカ先住民は音楽は病気を治し、天候を変える力があると考えていた。宇宙は神の意思により音楽に満ち溢れていると考えていた文明は複数ある。古代ギリシャのピタゴラスは音楽には数学の秩序があり、二つの音階が美しく聞こえるのは2:3、3:4のような整数比である時だと発見した。音楽という現象を数学という観念の秩序で理解するのが理性。この理性がプラトンのイデア論を経て、デカルトの近代合理主義に踏襲されている。

   著者は、デカルトを嚆矢とする近代合理主義が生んだ「科学」を5点に整理する。(1)あらゆる現象を力という物理的法則で捉える。(2)その力は数量、物理的量として計算される。(3)同じ手順で再現性のある仮説が正しい。(4)権威に頼らないで自ら考える主観が大切。(5)理性と論理を重んじた客観性が大切。

   しかしながら、科学が台頭した結果、経験と勘でしか説明できないことや神の存在は軽視され、芸術や日常のワクワク感が近代合理主義の蚊帳の外になった。専門家が哲学から枝分かれしてそれぞれに自己主張している。

老荘思想とインドの伝統思想

   野に咲く花は美しいが自我はない。老子の道教は、道とは無為自然な状態で全ての根源だと考える。区別のない混沌と現実を区分してさらに専門化しようとする近代科学とは世界観が違う。自我を発揮して目標を実現するのではなく自然な流れに身を任せる人生観だ。思考を空っぽにしてあるがままの音楽を聴きあるがままに生きることを奨励している。

   インドの伝統思想では永遠の根源生命をブラフマンと呼び、生きとし生けるものにあふれ出す根源的生命をアートマンという。修行ではまずアートマンを感じてそれをブラフマンと一体化する。自己と宇宙の一体化だ。現象とその背後にあるイデア、創造神と人間をはじめとする創造物といった二元的区分はない。

根源生命と一体化する

   東洋思想を学んだ著者は、音楽という芸術が生きるエネルギーや感動を聴衆に与えるとすれば、それは一体化している時ではないかと考えるようになった。自意識がなくなり根源生命と一体化すると無我夢中の境地に入り、恍惚感、ワクワク感が大放出される。では、オーケストラ全体が一体化するにはどうすれば良いのか。他者を肯定して仲間を信頼して自然な流れに任せる。理性を中心とするリーダーシップ論の真逆である。

   今、目の前にあるいいことに気づいて素直に感謝する。成功とか失敗を判断する基準に頭を支配されないで愛と良心にしたがって素直に生きる。

   銀河系には多数の恒星と惑星がある。太陽は光と闇を月は潮の干満を作り出す。宇宙の波動と和音は地球を包み生きとし生けるものを動かしている。そうした根源的な事実から、古今東西の古典を渉猟して思考法の組み合わせを明るく提案してくれた。天職の道を極める伊藤玲阿奈さんならではの一冊だ。

ドラえもんの妻