揺らいでも根は動かず 「海草のような人」になれるか

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   小学生ぐらいの頃には、よく水族館に連れて行ってもらったものだ。小さなきらきら輝く魚から、狭い水槽を我が物顔で泳ぎ回る大きな海獣まで、そこには様々な動物達がいて、どの動物も死とは縁遠いかのように元気に泳ぎ回っていた。

   今回の『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、海獣医・勝俣悦子(敬称略)の話。海獣医というのは、イルカやセイウチなど水の中に住む大型の動物を専門とする医者のことだ。

最愛のセイウチ、体を投げ出し死んでいた

   人は、好奇心を満たすことや癒されることを求めて水族館に足を運ぶ。私も小さい頃は、本来は遠い海を悠然と泳いでいるだろうクジラを目の前にして、自ずと興奮せずにはいられなかった。しかし、普段われわれが意識して見ることはない水族館の裏側では、生命に関する様々なドラマが日々起きているのだ。今回の『プロフェッショナル』を見ていて、改めてそれを感じた。そんな海の動物達の生死に誰よりも深く関わっているのが海獣医である勝俣だ。

   彼女の仕事ぶりで印象に残ったことがある。それは彼女が以前世話をしていたセイウチ「ムック」が死んだときの話。勝俣は、日本では前例がない手術をムックに施したことがある。そのこともあって、ムックには特に大きな愛情を注いでいた。ところがそのムックがある日、飼育室のドアをこじ開け、廊下に巨体を半分ほど投げ出したままで死んでいた。動かないムックの体の上には、その子供「ロック」がいた。母が死んでいるとは気づかず、いつものようにムックの背中に乗ってじゃれていたのだ。

   そのときの話を言葉を詰まらせながら話す勝俣を見て、"現場"の空気感が伝わってきた。悲しいシーンである。無邪気に母に遊びをせがんでいるロックのことを思うと、いたたまれなくなる。

私情に左右されぬ仕事ぶり、今はまねできない

   しかし彼女は悲しむ暇もなく、ロックを無理やりムックから離して別の部屋へ連れて行き、ムックを解剖をしなければいけなかった。ムックを解剖するときの勝俣は、完全に"海獣医"としての勝俣だったという。死因を特定し、次の死を防ぐために、私情を挟まず解剖したのだろう。確かに、ここでいちいち悲しい気持ちに沈んで何もできずにいたとしたら、医者としては失格だ。解剖が終わって"一個人"としての勝俣に戻ったとき、悲しみは押し寄せてきたそうだ。

   愛情をかけて大切にしてきた生物だとしても、時に私情を挟むことは許されない。やるせない気分に陥ることだろう。掛け替えのない命を左右する仕事という意味では、人間を相手にした医者と何ら変わりはない。辛い仕事だ。今の私には精神的な面でまねができないにちがいない。

   番組の最後に、「プロフェッショナルとは何か」を問う場面がある。そこで彼女は「海草のような人」と答えた。揺らぐことはあるが、根は動かない。そういう人を海草に喩えたのだ。彼女の根の深い所には"海獣医"としての責任感やプライドがしっかりと居座っている。時に"悲しみ"や"辛さ"に左右されても、そのしっかりとした"根"があるからこそ、彼女は今まで、そしてこれからも海獣医としてやっていけるのだろう。

   私情に左右されないこと。これも確かにプロフェッショナルとしての必要条件なのだ。

文   慶応大学1年・がくちゃん
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