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阿久悠さん、よくもこんなに名曲を作ったもんだ

   先週金曜日の夜10時からNHKで阿久悠さんの追悼番組を90分かけてやっていた。

   阿久悠さんといえば、最初は放送作家の城悠輔さんがやっていたブラッグバッグという団体にいた。初めて会ったときには、まさに城さんのブラックバッグ(黒鞄)を持ってやってきた。彼は代理店をやめたばかり。ものすごく黒い顔のやんちゃ坊主という雰囲気で、ファイト満々という感じだった。

   ちょうどオレと同じ昭和12年生まれ。オレもそのときはまだADだったから「お互いがんばりましょう」と励ましあったことを思い出す。そのうち、あれよあれよという間に有名な作詞家になってしまった。

   その後、JR西日本の応援団の会のメンバーとして、年1回ぐらい、山口や金沢などの地方都市に一緒に行ったときに親しく話をした。「瀬戸内少年野球団」の映画を作ったときには、まるで子供みたいに一生懸命を話をしていたなぁ。

   阿久さんは、ふだんは大人っぽいんだけど、詞や文章を書くと急に少年っぽく熱くなる。それがうらやましいというか、すごいと思った。「言葉」というものをとても大事にしていた人で、言葉で人間はコミュニケーションしているんだという「言葉の力」を信じていた。言葉の天才がまた一人亡くなってしまったのは、とても寂しい。

   阿久さんにはカラオケで大変お世話になった。「居酒屋」は何度もデュエットで歌わせてもらったし、締めには「青春時代」をよく歌った。NHKの追悼番組でもいろんな名曲が流れたが、よくもこんなにたくさんすごい曲を作ったもんだと、改めて感心したよ。

      また一人 昭和の星が 消えにけり