古田、引退表明「寂しいというより、悔しい」
ヤクルトの古田敦也監督が9月19日、今期限りで引退すると表明した。日本を代表するキャッチャーとして18年、監督兼任で2年、今期の低迷の責任をとる形での決断だと。
試合前に会見した古田監督は、「思うような成績をあげることができず、ファンに失望を与えてしまった」。選手としては「18年間精一杯やってきた」
しかし「選手たちに伝えておきたいことは?」の質問に1分間絶句。涙をぬぐって、「また直接伝えます」。さらに「ファンへの言葉は?」にまた言葉が出ず、「くそっ」「すいません」などと2分以上の沈黙と涙。最後にやっと「感謝の気持ちでいっぱい。ここまでよく応援していただきました」。最後は「さびしいというより、どちらかというとくやしい。よくわかりません」
地味なスターだった。アマ時代の88年、野茂英雄投手らとソウル五輪代表で銀メダル。だが「メガネのキャッチャーは大成しない」とトヨタに在籍。ジンクスを破ったのは、野村克也監督(現楽天)だった。90年、ドラフト2位でヤクルトへ。野村監督に鍛えられ、1年目からレギュラー。ここから花が開く。
91年 | 首位打者 |
92年 | オールスター戦でサイクルヒット |
93年 | シーズンMVP |
94年 | 中井美穂さんと結婚 |
97年 | シーズンMVP、日本シリーズMVP |
98年 | 選手会長 |
04年 | 球界再編では、選手会長として史上初のストを主導 |
05年 | 2000本安打 |
06年 | 選手兼監督 「代打オレ」 |
07年 | 2000試合出場達成 |
この間、リーグ優勝5回、日本一4回。4打席連続ホームラン(タイ)など、輝かしい戦績だ。加えて、ベストドレッサー賞やら、理想の上司の1位やら。
なんといっても古田が男をあげたのは、史上初のストライキの主導だった。経営マインド優先の再編をひっくり返して、楽天誕生への道を開いた。あのときも、テレビで涙を流し、スト明けの球場にはファンが殺到したのだった。
みのもんたは「わからないでもないけど、プロの世界は結果を求められるからね」
木元教子は「くやしいという言葉で、あ、まだやりたかったんだなとわかりましたけど、どうしてこの時期に?」という。
「憶測であれこれ書かれるのが嫌だったんじゃないですか」とみの。「家族との時間がほしい? 私だってそうですよ」