「密約公開」大平首相の戸惑い 今、岡田外相の決意とは
<テレビウォッチ>岡田克也外相が、就任して最初に口にしたのが、「核持ち込みに関する日米密約の調査」だった。歴代の首相、外相が一貫して「存在しない」と否定し続けてきたものだ。
1960年の改定日米安保条約では、米艦船の核兵器の持ち込みは「事前協議」が必要とされた。が、いまだかつて協議が行われたことはない。一方日本政府の「非核三原則」の3つ目は「持ち込ませず」である。
では、日本に寄港する艦船は、すべて核を降ろしてから来てたのか? そんなバカな。それでなくても30年も前から、米高官の発言や公開資料から「密約」の存在は明らかになっていた。
口開く元関係者たち
ここへきて、関係者がようやく口を開き始めた。東郷和彦・元条約局長は、「国会答弁で密約を否定しながら、このままでは限界がくるなと思っていた」という。「ウソをついていた?」との問いに、苦笑しながら「ねじれたまま結局今年になった」と。
複数の元外務次官も口を開いている。要するに、前任者から「手書き」のメモのようなものを引き継ぎ、大臣に伝え、後任に引き継いできたという。内容は、「米艦船搭載の核は事前協議の対象としない」というもの。60年の藤山愛一郎外相とマッカーサー大使の密約そのものだった。
大平首相(当時)がこれを公にしようとしたことがあったという。74年、米海軍のラロック元少将が、米議会で「日本寄航に際して核兵器を降ろしたことはない」と証言して大問題になった。国会は紛糾したが、政府は「密約はない」と突っ張り続けた。
大平が密約を知ったのは外相だった63年、ライシャワー大使から聞いた。以来、「ウソ」に思い悩む大平を秘書官が見ている。そして79年首相になったあと、伊東正義官房長官、加藤紘一官房副長官、森田一秘書官の3人に、「国民に明らかにできないか」と問いかけた。
伊東は「うーん、それはどうだろう」。森田は「それはダメですよ」。加藤は「いま無理じゃないでしょうか」と答えたところ、首相は「難しいから聞いてるんじゃないか」とぶ然としていたという。加藤の記憶だ。
世論が核問題に厳しかった当時、密約公開は政権の危機につながる可能性があった。以来、歴代内閣はこれを踏襲してきた。しかしこの間に、60年の密約文書もライシャワー大使の公電も、順次米側で公開されている。