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ハードル為末大 「嫌われるのは違ったからです」

   侍ハードラーこと陸上の為末大選手がブログで、「嫌われること」に対する深い考察をしている。

   2010年2月18日は、「嫌われる練習」と題した記事を書いた。「人に嫌われること」は好むと好まざるとにかかわらず、仕方がないことと語る。ただ、為末選手が競技人生を通じて気付いたのは、批判者はそれほど強い気持ちで思っていなくとも、受け手は真摯に受け止めてしまうケースがあることだ。流してしまえば楽なのに、悩む。真面目な人に多いという。

   もっとも、はじめて名指しで批判されたときは、少なからずショックだった。「なんだか闇夜の森の中で、いろんな角度から弓矢が飛んでくるようでした」と回想する。だが、しばらく絶つと、矢の先はとがっているわけでなく、毒も塗られていないことがわかった。つまり、殺される類の攻撃ではなかったのだ。

   為末選手の場合は「ぷいっとそっぽを向いて」、落としどころを見つけてきたが、反対に、中には真面目に批判を受け取ってしまう選手もいる。彼らは「だんだんと耐えきれなくなり、そのうちに、責任感に苛まれて、自らの主張を折り曲げていってしまいます」。そうして、エッジのなくなった選手はだいたい勝てなくなってしまうと指摘している。

   ちなみに為末選手は昔、ある批判に対し、「どうぞ僕の人生なんかよりご自身の人生に興味を持たれてください」と返したところ、火に油を注ぐ結果になったこともあったそうだ。だが、本人は「こういう発想の人間はふてぶてしく生き残るようです」と考えている。その上で、為末選手は負のスパイラルを抜け出すために、こんなアドバイスを展開する。

「自分がこのスパイラルから抜け出すには自分の人生にフォーカスする事しか無いのです。もしも、自分の人生に夢中になれば他人の事より、自分の人生の方が面白くてしょうがなくなります。そもそも、そんな時間が無くなるわけです」

   自分の人生を謳歌すること。人の人生は自分の人生ではない――。<テレビウォッチ